9月3日

「いぢくり回し」の日


7:45、アラームが鳴る。睡眠時間5時間15分、まだ眠い。ベッドの中でウダウダしていると、電話のベルがけたたましくなり始めた。フロントからの電話だろうと思い受話器を取り、日本語で「もしもし」と応答すると、「こちらは、女の子を紹介する所です。女の子と遊びたくなったら、こちらに連絡してください。携帯電話の番号です。メモしてください」と女性の声でまくし立てられた。韓国の女性だろう。ちょっとおぼつかない日本語で話し掛けてきた。メモなど取るつもりのなかった私は、適当にあしらって電話を切った。そういえば、12年前にも、このホテルに宿泊していた時にいきなり電話が鳴り、私が「ヨボセヨ?」(もしもし)と応答すると、ガチャッと切れたことがあった。相手が日本人だったら、「こちらは女の子を…」と話を続けるのだろう。韓国人が日本人の韓国人女性買春を斡旋する風潮は、まだまだ残っているようだ。しかし…これは新種の客引きだなぁ。

8:00、テレビ(CATV)をつけると、どこかで見たようなキャラクターのアニメが…。どうやら舞台は日本のようである。日本のどこだろう?…と思いながらアニメを見る。それにしても下品な内容だ。番組名を日本語に訳すと『風変わりな家族』。おそらく日本語で書かれているであろう部分が、不自然に塗りつぶされ、韓国語に書き換えられている。、目を凝らしていると、チラチラと「浦安」という文字が見える。おまけに、登場人物が千葉ロッテマリーンズ(のような)ユニフォームを着ているシーンが出てきた。間違いない、日本のアニメだ! マンガに詳しい知人に国際電話をかけ、この話をしたら、「それは多分、『浦安鉄筋家族』というマンガです」と教えられた。日本のアニメが韓国で放映される際、原作者や製作者のクレジットがカットされるのは通常なので、これを見た韓国の子供たちが「日本(のアニメ)って、下品だなぁ」などとは思わないだろうが、おそらく大人には『風変わりな家族』が日本製アニメであることは知られるところになろう。また、日本が誤解される…。

9:00、ホテルのフロントで「コリアパス」という外国人旅行者用のカード(プリペイドカードとクレジットカードの機能を有するコリアパスの詳しい説明は現代情勢のページで)の購入手続きをする。20万ウォン(約2万円)分のカードを購入し、記念品をたくさんもらう。

9:20にホテル地下のGoody Goodyで朝食をとる。昨年はホテル2階にあった「イザカヤ」という店で朝食をとったのだが、その店が閉鎖されたようで、Goody Goodyが朝食サービスを実施しているようである。店に入って、まず朝食をとる雰囲気とはかけ離れていることに驚かされる。それもそのはず。この店はJazzバーなのである。本来の営業時間は夕方から深夜にかけてであって、あくまでも朝の営業は朝食のためだけである。朝食は、いつものように「日本朝定食」を注文した。12年前も昨年も、これを食べて一日のスタートを切っていた私。「日本」とはいいつつ、韓国風なものが出てくるのが韓国の「日式」(イルシク)の基本。ご飯に味噌汁(コチュジャン入り)、キムチ、イカの塩辛(チョッカル)、卵焼き、うずら玉子と鶏肉の煮物、シラス(?)の佃煮、さわら(のような魚)の韓国風焼き物、韓国のり(キム)というラインナップは、どう見ても日本風ではなく、韓国料理の日本風という感じであった。

サボイホテル食後、一旦部屋に戻り、今日の準備をする。ここで武者震いなのか、足がガクガクし始めた。今年の訪韓では、昨年以上の情報を蒐集し、それなりの成果をあげなくては格好がつかない。昨日の緊張もそのためだったのだろう。今日は実質的な調査・蒐集初日である。何が起こるか、全くわからない状態…。気を鎮めるために、テレビをつける。

9:50にホテルを出る。まず歩いてソウル中央郵便局に出向き、350円分の切手を15セット購入する。販売窓口には “Foreigners” と書かれているが、ここで日本語が通じたためしがない。いつも韓国語で私が話し掛け、相手が韓国語か英語で返してくるという感じである。日本の郵便局だと、何も言わなくても切手を入れる袋をくれるのだが、ここでは「袋をください」と言うまでは出てこない。

ここからロッテ百貨店のある乙支路入口(ウルジロイプグ)駅まで歩き、地下鉄2号線に乗り込む。地下鉄に乗る際に、コリアパスが威力を発揮する。地下鉄が来る前、手帳を取り出し、今日の予定を確認していた私に、オジサンが話し掛けてきた。「落ちてる! 落ちてる!」と言われたのだが、何が何やら…と思った次の瞬間、オジサンはホームに落ちた私の印鑑証明カードを指さした。オジサン、ありがとう! 深々と頭を下げ、礼を言う。乙支路3街(ウルジロ3ガ)で3号線に乗り換え、南部ターミナル駅へ。そこからマウルバス(「マウル」は「村」の意味。要するに、村のような狭い道でも走るバス)に乗って韓国芸術総合学校音楽院へ向かう。

11:15、閔庚燦教授の研究室に到着。日本から持参したお土産(高島屋の手提げ袋に入れて来た)と月刊『韓国文化』2001年10月号を先生に渡し、インタビュー開始。この内容も著書や論文で紹介するため、詳しく述べることは出来ないが、ひとつだけ、日韓関係がまだまだギクシャクしている現状を証明するような「事件」を紹介しよう。閔先生がプロデューサーとなって、日本と韓国の童謡を1枚のCDに収録するという企画が、今年の3月に現実化した。日本側はビクターが窓口となり、日韓同時発売となった。日本の童謡も歌詞を一部韓国語にして、日韓の音楽を通じた交流を…という願いのこもったCDの企画だった。日本では企画通りに発売されたが、韓国では発売前にクレームがついた。日本大衆文化開放は第3次段階で中断中である。韓国ではまだ、日本語歌唱の音盤(CDやレコードなど)やビデオ、DVDを販売してはいけないのである。閔先生は「童謡は大衆文化ではない。伝統文化だ!」と主張され、このCDの販売許可を得るために頑張られた。しかし、結果的に日本語部分をカットしたものであれば販売許可するということになってしまい、泣く泣く日本語歌唱部分をカットしたCDが韓国では発売された。「日本の童謡は、日本語で紹介しなければ意味がない」という閔先生の思いは、現時点では伝わらなかった(このCDに関する詳しい内容は、こちら、またはこちらで)

インタビューの最中、時折聞こえてきた声楽に、ここが芸術大学であることを実感した。こうして13:20まで、閔先生に貴重なお話を伺ったのであるが、閔先生から例の童謡のCD(韓国盤)をいただき、サインをいただいた。そして「ちょっとお願いがあるのですが…」と閔先生。先生は、神田神保町の韓国・朝鮮専門書店の名前を思い出せず、私にその店の事を知らないかどうか、どうやったらわかるか、そしてその店のホームページを探せるかどうか、私に相談された。とりあえず、先生の研究室にあるパソコンでは日本語が読める環境にあることがわかったので、Yahoo! JAPANにアクセスしていただき、検索エンジンを使用することにした。しかし、日本語の入力が出来ないことが判明した。私は「韓国 神保町 書店」というキーワードを考えていたのだが、「国」という字が「國」としか表記できず、検索結果は0件。そこで、「韓 神保町 書店」と入れ直した結果、先生が思い出せなかった書店名と、そのホームページの存在が、一度に確認できたのである。面目は保たれた私。ホッとする。

閔先生の研究室は3階にあるので、エレベータを使って1階か地下1階に出なければ帰れない。先生はエレベータ前まで私を見送るとおっしゃった。そして、一緒にエレベータまで歩いていると、学生たちが全員、閔先生に会釈をしたり「こんにちは」と挨拶をするのを見た。友達との話に夢中になっている学生や、日本流に言えば「ギャル」っぽい学生までもが、教員には必ず挨拶をし、それから話に戻ったり、移動を続けるのである。韓国では、今も教員の威厳が保たれている。日本で、私がこのような経験をしたことは一度としてない。

南部ターミナル駅の地下街は、いつも休業?南部ターミナル駅へ戻る際、昨年CDショップで出会った趙一雨(チョー・イル)くんに電話を入れ、再会の日程を決めた。明日の17:00に電話をもらい、それから明洞で会うことになる。今日の公式な予定はこれで終わったので、時間はたっぷりある。南部ターミナル駅へは徒歩を選んだ。昨年も見た光景…それは、駅の地下街の店のほとんどが、営業していないのである。何だか廃墟に紛れてしまったような感じがして面白い(?)。そんな中で営業している店を見つけると、無人島で人影を見つけたような喜びを覚えて、これまた面白い。営業している店の1つ、昨年ラーメンを食べた店が頑張って営業していたので、今日の昼食をそこでとることにした(お店の雰囲気は、こちら。店先に座り、今年はキムパプを注文した(キムパプ食べ回り!)。1500ウォン(約150円)という安さとは反比例し、味はなかなか! 店を切り盛りしているオバサンに、「昨年もここに来たんだけれど、覚えてます?」と聞くが、「さぁ、そうなんですか」と答えられて終わる。そりゃ、毎日毎日いろんな客を相手にしているのに、昨年の4月に、それもたった一度だけ来た私のことなんて、覚えていてくれるわけがない。それはともかく、キムパプ好きの私を喜ばせてくれる味と料金に、足取りも軽くなった。

南部ターミナル駅から地下鉄3号線、忠武路(チュンムロ)から地下鉄4号線で明洞へ。昨年入りびたったPC房(バン)を探したが、どうもつぶれてしまったか商売替えしたらしく、私の思い出が1つ姿を消した。仕方がないので、近くの別なPC房を見つけ、そこでメールチェックとサイトのチェックをした。離日前、bewith.acに届いたメールを韓国でもチェックできるようにするため、フリーメールのアドレスを獲得し、そこに転送してもらうようにしてあった上、韓国のPC房のパソコンは日本語表示環境が整っているので、日本語で返事が出せない、掲示板に日本語で書き込み出来ないということさえ除けば、ほぼ問題はない。

15時過ぎ、一旦ホテルに戻り、荷物(バッグ)を替え、再び外出。目指すは、昨年の訪韓時には建設中であった韓国観光名品店。明洞の街を歩いている私の目に飛び込んでくる おかしな日本語の数々。看板に書かれた日本語は、日本人へのサービスなのだろうが、その良心に感謝しながらも、やはり笑ってしまうものが多い。そんな中で私の目に飛び込んできたのは、「田舎のお膳」という直訳的店名の看板。そこには韓国語と日本語でメニューが紹介されているのだが、

ちゃおん蒸し

キムチのかめと豆腐の盛合わせ
(「かめ」は食べにくいように思うのだが)

いぢくり回した牛肉

などがあり、味はともかく、とにかく中に入って食してみたいという思いをかき立てるだけかき立ててくれたのである! うぅ〜ん、いぢくり回してみたい! いぢくり回されたい! この看板は撮影して「現代情勢」のコーナーで紹介してあるのだが、残念なことに、撮影時の日差しが強すぎたのか、撮影時に人目を気にしすぎてしまったのか、メニューがよく読めない写真となってしまった。

韓国観光名品店で絵葉書を買い求めていると、窓の外に「VISA」という文字が飛び込んできた。あぁ、あれがVISAのカスタマーセンターか。そのまま、立ち寄ってみることにした。自動ドアが開くと「いらっしゃいませ!」という日本語が。スタッフは全員が日本語堪能。私が「インターネットを利用したいのですが…」というと、「では、お客様のVISAカードをご呈示ください」と。VISAマークのついたカードを持ってさえいれば、ここではインターネット(有料)のみならず、コーヒーやお茶などのサービス(無料)や情報提供サービスが受けられるのである。おまけに、ここにパソコンのOSは日本語版Windows98であるため、日本語でメールを送ることも出来る。PC房と同じくらいの料金で日本語入力可能であれば、これを利用しない手はない!

インターネットを20分くらい利用して、時計を見ると、もうすでに16:15。利用代金1000ウォン(約100円)を払い、ホテルロッテに向かって歩いた。ホテルロッテには5年前、3泊したことがある。とにかく宿泊料金が高い! 高いだけのサービスは受けられるが、個人では宿泊する気になれない。日本語しか出来ない日本人旅行者には強い味方なのだが、韓国語を勉強して安く泊まれるホテルに滞在したほうが賢明だと、私は思う。

ホテルロッテの新旧館連絡通路ホテルロッテ新館3階には、JCBプラザがある。JCBカード会員であれば、各種サービスを提供してもらえる、心強い存在である。ところが、私はついうっかり、ロッテの本館から入ってしまったので、連絡通路を使って新館に渡らなくてはならなくなった。幸い、連絡通路も3階にあった。JCBプラザで私はスタッフに、良いメガネ屋さんの情報提供を受けた。今回の滞在中、メガネを作ろうと思っていたのである。そこで、品数豊富なメガネ屋さんをいくつか紹介してもらった。それらはいずれも明洞地下街にあった。

実際に店の雰囲気を見て、良さそうなところでメガネを作ろうと思い、地下街をグルグル歩いて回った。その中の1軒、ハーバード・メガネは、スタッフの雰囲気が良さそうな上、店も明るい感じがしたので、ここでメガネを作ることにした。通常、20〜30分で、それも60000ウォン(約6000円)程度で作れるということなのだが、私の視力はかなり悪いので、「通常」通りにはいかなかった(詳しくは現代情勢にて)

視力測定後、再び乙支路入口駅へ向かい、地下鉄2号線で市庁(シチャン)に出て、そこで1号線に乗り換えて鐘閣へ。韓国最大の書店である教保文庫(キョボムンゴ)で日本大衆文化開放関連の文献を探した。韓国に来ると、必ず教保文庫に立ち寄る私だが、ここほど欲しい本がいとも簡単に探せるところは、他にないように思える。それに、店の雰囲気が私好みである。店員さんを捕まえて、「日本大衆文化開放関連書籍はどこにありますか?」と聞き、教えられた通りの番号の書棚に行ってみるが、あまりお目当ての内容のものがない。そこで、別の店員さんに、「日本大衆文化関連書籍は、ここ以外にありますか?」と聞いてみた。すると、その店員さん(雰囲気的に地方都市出身の女性…って、失礼か)、「日本大衆文化ですか? 音楽(関連書)がいいですか?」と聞き直してくれた。そうだった! J−POPが(あまり)公にされていない韓国で、どのようにそれが紹介されているのか、それを調べなければならなかったのに、昨年はその関連書籍を探しもせず、気にもとめなかった。店員さん、他のスタッフにも声をかけ、「このお客様が、日本大衆文化…特に音楽の本を探しています」とアチコチ一緒に回ってくれた。結局、音楽関連では1冊しか見つけられなかったのだが、「本は見つかりましたか?」と、ことあるごとに私に尋ねてくれた店員さんの優しさに触れ、「日本にもこういう店員さんがいてくれたらなぁ…」と思ったものである。

その後、同じフロアにある文具店でキャラクターグッズを物色する。どうも、日本人も韓国人も、「カワイイ」と思うツボは似ているらしく、「とっとこハム太郎」が「パンガパンガ、ヘムトリ」として人気を博している。そのシールと「デジモン」(デジタルモンスター)のシールを買い求め、CDショップへ。かねてから「Fin.K.L」(韓国語ではピンクル)という女の子4人のグループのアルバムが欲しかったので、2枚組のものを1セット購入。店員さんに「今、韓国でNo.1ヒットのCDは何ですか?」と聞くと、ランキング順にCDが並んでいるコーナーに私を連れて行ってくれて、「今は、カンタ(Gang Ta)の『Pine Tree』が一番です!」と教えてくれた。店員さんの厚意に感謝しながら、これも購入。今、これと同じくらい韓国で売れているCDが『千と千尋の神隠し』のサウンドトラック盤であるが、今日は購入せず。

ハーバード・メガネでのメガネの受け取りが19時だったのだが、時計はすでに19時を回っていた。そこで、地下鉄を乗り継ぎ、乙支路入口に戻った。出来上がったメガネをかけてみて、その出来上がりに満足しつつ、ホテルを目指して歩き始めた私の目の前で、日本人女性がガイドブックと道路案内を見比べつつ首をかしげている。そこへ欧米系観光客が現れ、彼女に英語で道を尋ね始めた。彼女にはその言葉が理解できなかったらしく、私が通訳に入る。その後、「どこへ行かれるんですか?」と同じ日本人のよしみで(お節介にも)尋ねてみると、「ガイドブックには、ここ(と地図を指さす)にロッテリアがあるんですが…」と言う。どうやら、完全に方向感覚を失ったようで、ランドマークを探していたらしい。しかし、その地図がちょっと古いものだったようで、「そこにはロッテリア、ありませんよ」と教える私。「この、明洞キルという道は、どっちに行けばよいのですか?」という問いかけに、「あっちですよ!」と指さす私。私がこれから向かう先は、明洞キルを通らなくてはならないのだが、「じゃあ、一緒に行きましょうか?」と親切すぎるのも変だと思い、「では!」と言って歩き始めた。どうやら彼女は、両親と一緒に韓国旅行をしているようで、みんなで道に迷っているらしい。

ホテルへの帰途、お腹が減ってきた。何を食べよう?…そうだ! あの店だ! あの店しかない! あの店に行かずして、一体どこへ行けというのだ? 私は迷わず、いぢくり回した牛肉の、あの店に向かった! 店は地下にある。思ったよりも広くてきれいな店内。しかし、韓国ではあまり「空いている席へどうぞ」とは言われず、「ここに座ってください!」と座席指定される。ここでも同じだった。私が好きな席に座ると、「ここに座ってください!」と言われた。「いぢくり回した牛肉」を食したいと思ったのだが、店主が「これがおすすめです」と指さしたメニューが、店名と同じ「田舎のお膳」であった。値段は5000ウォン(約500円)。店主が勧めるのだから、先ず間違いないだろうと信じ、それを注文した。しばらくして、かなり大きな木製トレイに「これでもか!?」というくらいの料理がのって、私の目の前に現れた「田舎のお膳」。小皿が15品(キムチを含む)、古代米と思われる赤いご飯、水キムチ、チゲ、スッケ(韓国の甘いデザート)で5000ウォン? 安すぎやしないか? これには何か裏があるのでは? 食べ終わったら、「オイ、本当に5000ウォンで食べられると思うなよ!」などと言われたりしないだろうか?…という不安よりも、食欲が勝ってしまい、あっという間に完食! かなり美味である! そして、メニューにあった通り、5000ウォンだけ請求された。「いぢくり回した牛肉」なんて笑いを取って、本当にゴメンよぉ〜!…という気持ちが一瞬だけ生まれたが、すぐに「早くみんなに教えなきゃ!?」という気持ちに切り替わった私。

ホテルに戻る前にLG25に立ち寄り、シャンプーとリンスの旅行用セットを買った。私が日本から持参したリンスインシャンプーは、あくまでも非常用である。それに、ハングルのビッチリ書かれたボトルは、記念にもなりそうだ。

絵葉書を15枚書き上げて眠りについたのは、日付の変わった1:30過ぎであった。

そういえば、今日はソウルの街を歩く私への視線が、午前中だけはすごかったなぁ…。もしかして、高島屋の袋が目立っていたのかな? バラの包みの…というくらい、バラの紙袋は目立ったのだろう。ソウルの町並みを、高島屋の袋を持って歩いていた私は、チャレンジャー?