渡航前のYoshibei



8月2日深夜、ユナイテッド航空のホームページにアクセスしていたら、急に「韓国に行くなら、この(夏)休み中だなぁ…」と思い始め(思い立った理由は、(またもや)突然の韓国行きの理由を参照)、ネット予約でソウルへの往復航空券を押さえた。明朝、10年前と昨年とお世話になった定宿(?)のサボイホテルの予約のために、国際電話をかける。アッと言う間にホテルの予約も完了。これでいよいよ “Yoshibeiの韓国珍道中2002” も本格始動となった。

しかし、ソウルに行ったは良いが、誰にも会えなかった…というのでは、調査旅行の意味がない。今回は昨年に比べると時間的余裕があるので、昨年ソウルでお世話になった方々へ国際電話をかけ、私の訪韓の予定を伝えることにした。

まず、日本大使館広報文化院(日本文化院)の孔章源(コン・チャンウォン)さんに連絡を入れた。私のことを覚えておられた孔さん、私が頼んでいた書類が作成できない理由を教えてくださったのだが、それがまた、私の研究のネタになりそうで、今からソウルで会うのが楽しみになった…と思った矢先、9月3日に夏休みを取ることになるということで、5日(木)にお会いすることになった。

韓日文化交流會議の李惠美(イ・ヘミ)さんにも連絡をした。オフィスに連絡をしたはずなのだが、李さんは銀行で電話を受けているという。どうやら、転送電話機能を使って、李さんは携帯電話で応対したらしい。李さんも私のことを良く覚えていてくださった。差し上げた『ストレス・スパイラル』もちゃんと読んでくださったそうで、「面白かったです」というお言葉。大変に嬉しかった。明日から日本出張とのことで、それなら日本でお会いすればよさそうなものなのだが、日韓の比較を伺おうと思っている私にとっては、ソウルで会合を設けるのが好都合。その上、李さんも忙しいのだろうし、日本で時間を取っていただくわけにもいかない。そこで、9月4日(水)に…ということになった。

忘れてはならないのが、韓国芸術総合学校音楽院の閔庚燦(ミン・ギョンチャン)教授である。閔教授の助けなしに、私の「社会変動としての日韓新時代」という論文はあり得なかったし、昨年秋の日本社会学会での報告も成り立たなかったと思われる。来月の訪韓を告げると、「会いに来てください。ただ、韓国は日本と違って、9月が新年度なので…」とおっしゃられた。そう、諸外国同様、新学年は9月スタートなのである。そのため、いつなら会えるという確約が出来ず、仁川国際空港到着後に連絡をすることになった。

かかりつけの今井医院の今井医師から、金光哲(キム・グァンチョル)さんを紹介してもらい、やはり国際電話する。9月2日に仁川国際空港でお会いすることになった。「私が、責任を持ってホテルまでお送りします」と金さん。有難い話であるが、「おんぶにだっこ」でいられるはずはないだろう。

話は飛ぶが、韓国で大人気の包丁パフォーマンス「NANTA」が「NANTA劇場」なる場所で連日、繰り広げられている。昨年だったか、来日公演はすべて大入り満員状態で、とにかくセリフのない(ノン・バーバルな)リズミカルなステージに、観る者は魅了されたという。実は私、このパフォーマンスをテレビ朝日のニュースステーションで知りながら、公演を観ることが出来なかったのである。そこで「NANTA」のホームページにアクセスした後、@ぴあでチケットの予約をした。私の認識が間違っていなければ、私の座席は前から2列目の中央あたりである。韓国の、新たな息吹についても情報蒐集しなければ…。それが生きた社会学研究になるのだと信じてやまない。

こんなことを語る必要もないのだが、私はいつも、海外に出る前には必ず証明写真の撮影または焼き増しをすることにしている。外国で仮にパスポートを再発行することがあったら、その時に使用するものである。その身分証明用写真を撮りに、写真屋さん45横浜高島町店に行った。私は写真屋さん45の会員なので、写真を現像すれば、フィルムが現像分だけ戻ってくる。ここ数年、私はフィルムを購入する必要なく、カメラを使用している(ただし、ASA800などの高感度フィルムを使用しなくてはならない時などは除いて)。しかし…どういうわけか、私が証明写真を撮る日は、風が強いのである。今日の強風は、細い私を吹き飛ばしそうな勢いがあった。暑さの厳しい最中、スーツを着て写真屋さん45に向かった私は、その時点ですでに汗だく。髪はボサボサ。それと、私がすっかり忘れていたことなのだが、写真屋さん45で証明写真を撮ると、サービスでポートレートを撮ってくれるのである。ポーズをとらされる…と言っても斜め向きに立つだけなのだが、これがなぜか恥ずかしい! そして、出来上がった四ツ切り写真を見て、すぐ逃げ出したくなる!! 冴えないなぁ!?

事前に韓国ウォンの用意も必要であるため、有楽町(丸の内)にある韓国外換銀行へ行き、ウォンの両替をした。私が両替をした日のレートでは、100ウォン=10.3円。30900円が30万ウォンになった。いつも思うのだが、円をウォンに両替するたび、何だか金持ちになったような感覚に陥る。逆に、米ドルや英ポンドに両替すると、何だかシュンとなってしまう。経済的価値はほとんど一致しているのだが、円とウォン、米ドル、英ポンドの国際的価値、あるいは貨幣価値以上の視覚的な部分などもあって、外貨を手にするといろんな感情が芽生えてくる。

今年の夏は、どういうわけか台風の多い印象がある。外出できない時は、韓国での調査やイベントの準備を徹底的に行っていた。かつて自分が執筆した論文や雑誌記事などを読み直し、そこから蒐集すべき項目の再検討を繰り返していた。さらに今回の訪韓では日本大衆文化開放と「買い物」の関係(というよりも、日本大衆文化開放と商品の関連)も調べてみたいので、JCBカードUCカードマスターカードVISAカードのガイドマップやサイトで、ソウルの情報を押さえておいた。結構、日系クレジットカードが韓国内のカード会社と提携してキャンペーンをはっていることがわかる。ワールドカップのおかげだろう。昨年も「韓国へようこそ」と日本語で書かれたポスターを、アチコチで見かけたのを思い出す。

それ以外に私が準備したもの…新しい名刺(裏面が英語のもの)、36枚撮りASA800のフィルム5本。

韓国・ソウルにある韓国の家(コリアハウス)も、今回の訪韓では訪問先に入れておいた。ここは、韓国の伝統文化や生活を紹介する総合施設である。私が訪ねる目的は、ズバリ “食事” である。韓国の家では韓定食や韓食ビュッフェを食すことができるのだが、事前予約制であるため、昼食の予約をEメールで入れておいたのだが…。いつまで経っても確認の連絡が来ないため、国際電話で予約確認をしようとした私…。電話に出た女性は、韓国語で(当たり前!)早口! 久しぶりのj韓国語なので、ヒアリング力が確実に落ちている。「予約の確認をしたいので、日本語のできる人をお願いします」という私の韓国語が通じなかったとは思えないのだが、とりあえず韓国語でやり取りをする。どうやら、メールはちゃんと届いており、私の名前は登録されていたみたいである。

こんな状態で韓国に行って、良いのだろうか…?

その他、私は訪韓前に、数ヶ月間苦しめられている胃痛(今井医院で何度も薬を替えながらの治療)、そして腰痛(吉田整形外科医院で、低周波と牽引の治療)と闘いながら、9月2日を待ちつづけていたのであった。