9月5日

「イムジン河」の日


8:00にアラームを鳴らしたはずなのに、気が付けば10:30! すわっ、寝坊だ! とはいえ、午前中は何の予定もない。慌てる必要はないのだが、実質的には今日が韓国最終日。時間を無駄に出来ないと、急いでベッドから跳ね起きる。

幸運なことに、昨夜、参鶏湯を食した後に、いつものようにLG25に立ち寄り、菓子パンとジュースを買っておいたのである。それを朝食代わりにし、11:00に明洞駅に向かった。私が寝ている間、雨が降ったらしい。路面が濡れていた。雲の厚い、ハッキリしない天気。地下鉄4号線と2号線を乗り継ぎ、三成(サムソン)駅へ。ここにはCOEXモールという、韓国最大級のショッピングアーケードがある。映画館や水族館、博物館も集まり、このモールをすべて回るのには、1日では足りないような、広大な敷地がある。私は…というと、下調べが足りず、さっそく道に迷う。ただ、ハングルの読める有難さ、すぐに自分がどこを歩けば駅に出られるのかだけはわかる。

モールの広さにめまいのした私は、隣接する現代百貨店(ヒョンデペッカジョム)に入り、昨日得た情報を元に、パク・ギヨンのCDを購入した。しかし、私の韓国語がなかなか通じず(難しい表現などしていないのに…)、自信を失いかける。どうやら、明らかに韓国人ではない私が韓国語を話していたので、心の準備が出来ていなかった…というような状況だったのだろう。私も、「この人は絶対に日本語を理解しないだろう」と思っていた人物から日本語で話し掛けられると、「えっ?」と聴き取り不能になることがある。

今日は、在大韓民国日本大使館公報文化院(日本文化院)で、昨年もお世話になった孔章源(コン・ジャンウォン)さんと15:00にお会いすることになっている。COEXのある江南(カンナム)地区から日本文化院は少々離れた場所にあるので、とりあえずCOEXめぐりを諦めた私は、一旦ホテルに戻って荷物を取り替えることにした。

13:30、ホテルから高島屋の紙袋に入れたお土産(懲りない!)と月刊『韓国文化』、そして仕事用バッグを持って出発した私が最初に向かったのはマロニエ公園。李惠美さんに電話をかけ、月刊『韓国文化』を渡す。「これから、どこへ行くんですか?」と李さん。「日本文化院に行くんです」と答えると、「そういえば、昨年もここ(韓日文化交流会議事務局)に来た後、急いで日本文化院に行かれましたよね?」と、李さんが懐かしげに昨年のことを語り始めた。こうやって、私のことを覚えていてくれる人が韓国にいるのが、何となく嬉しい。しかし、李さんは既婚者…って、何を言っているんだ?!

日本文化院へ直行するのも早すぎる時間だったが、遅刻しても相手に失礼になるので、最寄駅の安國(アングク)に地下鉄で出た。このあたりには仁寺洞(インサドン)と呼ばれる、骨董品や伝統工芸の店の集まった一体がある。仁寺洞には来たことがあるが、その時はゆっくり見ることが出来なかったので、今日はじっくり見て回ろうと思った。青山の骨董通りとも似た、落ち着いた雰囲気の中、私のお腹がグゥ〜ッと鳴った。そう、昼食をとっていなかったのである。孔さんと話をしている最中にお腹が鳴ったら恥ずかしい。こういう時、韓国は露店商が多いので助かる。今回の訪韓で、私が密かに決めていたことがある。それは(1)米国系および日系のファストフード店には立ち入らない、(2)日本食を食べない…というものであった。だから、時間のない今でも、絶対にハンバーガーを食すという選択肢が見当たらない。仁寺洞の中ほどに、アメリカンドッグを売っている露店を見つけた。お店の奥さんに、「これ、いくらですか?」とアメリカンドッグを指さすと、1000ウォン(約100円)だという。安いが大きい。これで昼食代わりとしよう。1本下さいと言うと、店先のアメリカンドッグを1本、油の中に入れ、揚げ直してくれた。それにケチャップをたっぷりかけてもらい、1000ウォン払う。揚げたてなので、ウマイ!

時計を見ると、14:50。約束の時間の10分前である。急ぎ足で日本文化院を目指したが、信号につかまる。地下鉄の通路を経由すれば、信号にはつかまらない…というよりも、横断歩道そのものがないのだから、それしかとるべき道がないのである。地下鉄の改札前から、「♪ヘ〜イヘイヘイヘ〜イヘイ…アイツもコイツもあの席を/ただひとつ狙っているんだよ」と、聞き覚えのある歌声が! その音に誘われた先は、小さな書店。店先にあるビデオのモニターでは、フィンガー5の曲とともに、海パン姿の男の子たちのシンクロナイズドスイミング…。そう、『ウォーターボーイズ』のDVDが流れていたのである。

在大韓民国日本大使館公報文化院(日本文化院)15:00、日本文化院2階のオフィスへ直行。セキュリティは相変わらず厳しいのだが、昨年で慣れっこになった私は、インターホン(電話)の受話器を取り、「服部といいます。孔章源氏と約束があります」と守衛さんに伝ええる。すると、しばらくして孔さんが現れ、入口の扉のロックが解除される。応接スペースに通され、孔さんが準備しておいてくれた日本大衆文化開放に関するデータを受け取る(ここでは詳しい内容を公開できないので、年明けに発売される予定の私の著書を参照してもらえるとありがたいです)。また、韓国で上映された日本映画のチラシを数枚いただいた。その時、孔さんから「実は、これは私からのお願いなのですが、来年の1月か、2月か、3月か…まだ決まっていないのですが、韓国で上映された日本映画のチラシ、日韓それぞれのものを額に入れて、比較展示するような企画があるんです。それで、日本版の収集をお願いできませんか?」という依頼を受けた。日韓友好のためになるのなら喜んで!…ということで、日本大使館の企画する展示会の日本側チラシ収集役となった私である。

情報提供を受けている最中、昨年お世話になった李善順(イ・ソンスン)さんが現れ、李さんからも貴重な情報を得た。そして、日本音楽情報センターが地下から3階に移動したというので、新しくなったセンターを見せていただくことになった。センターにある日本のCDリストを見せていただくと、そこに『イムジン河』という文字を発見! アーティスト名はザ・フォーク・クルセダーズ。そう、あの『イムジン河』のCDが韓国にあったのだ! 驚く私を見て孔さんが、「そのCDが、どうかしましたか?」と聞いてこられた。そこで、この『イムジン河』の発売に至るまでの話をする。センターを出る前、「本当はこれ、ここの会員になった人に配るものなんですけれど…」と、センターのオリジナルTシャツを記念に(?)いただいた。「色は4色あります。どれが入っているかは、開けてからのお楽しみです」とのことだった。

16:45、あまり長居をしてもいけないと思い、日本文化院を後にすることにした。玄関で孔さんから握手を求められ、「また、来ますね!」と言って地下鉄へ向かった。
アニメスタジオ
孔さんから「梨大(イデ)駅から新村駅に向かって歩いていくと、アニメスタジオという店があります」と教えていただいたので、地下鉄で梨大に向かった。梨大というのは梨花女子大学校のこと。新入学時期ということもあり、初々しい女の子の姿が多かった。しかし、私の今の興味は、女の子よりも日本大衆文化! 女の子には目もくれず、急いで新村方面に歩いた(って、ここまで「女の子」を連呼すると、嘘っぽくきこえるなぁ)。数分歩くと、アニメスタジオに到着。中に入ってみると、商品の8割以上が日本からの輸入品。日本語のまま、値札だけがウォン表記されたものが堂々と売られていた。店先にはガチャガチャまである。懐かしさを誘うようなスペースだった。アニメに詳しくない私には「ふぅ〜ん?」という感じであったが、日本でアニメイトなどに通い詰めている少年少女たちにとってみれば、生唾モノのスペースなのかもしれない。

新村から地下鉄で帰るのもワンパターンな感じがしたので、国鉄駅に行くことにした。韓国の国鉄には、ソウルと釜山の間をセマウル号で何往復かした程度の経験しかない私なので、国鉄のローカル線にも乗ってみたいと思い、国鉄新村駅でソウルまでの切符を買った。時刻表には、上下線とも1時間に1本のダイヤが…。ほとんど利用客のいない中、日本人観光客を1組見つけた。母娘なのか、仲良く写真を撮っている。駅員さんと一緒に写真を撮っている姿を見ると、「どうして、日本人は海外旅行に出ると、有名人でもない人と写真を撮りたがるの?」と聞いてきた香港人の友人の質問を思い出す。その観光客にカメラを渡し、写真を撮ってもらうことにした。

新村駅(国鉄)正面新村駅ホームにてこれから乗り込む統一号ソウル行きこの列車の始発は、話題の「臨津江」(イムジンガン)

17:36発の統一(トンイル)号のソウル行きは、始発が臨津江(イムジンガン)…つまりイムジン河なのである! 何だか、このところ “イムジン河” づいている私である。
ソウル駅
列車は10分かけてソウル駅に到着した。

ソウル駅の改札で、「この切符、記念に欲しいのですが…」と駅員さんに言うと、無言で領収印を押してくれた。しかし、ソウルの駅前には、私の欲を満たすようなものは何もなかったので、すぐに地下鉄4号線に乗って明洞に戻り、VISAカスタマーセンターでサイトとメールのチェックをすることにした。

そして、明洞地下街で「Be The Reds!」という、例の赤いTシャツを5000ウォン(約500円)で購入し、ロッテ百貨店にあるホテルロッテ免税店へ。ここで高麗人参のカプセルを買うのが、私の訪韓時の “おきまり” である。そして、お土産品をしこたま買い込んで、レストラン街へ向かった。夕食は何にしようか…と悩んでいた私の目の前に、「刺身丼」(フェトプパプ)のサンプルが飛び込んできた! 刺身丼は日式食堂でしか味わえないものなのだが、キャベツやキュウリ、レタスなどの千切りやコチュジャンなどが丼の中に共存しているのを見ると(おまけに、野菜にはドレッシングらしきものがかかっている)、これは明らかに韓国料理であって、日本料理ではないことがわかる。しかし、韓国人は刺身丼を日本料理として認識しているのである。12年前、初めて韓国の地に降り立った私は、釜山の日式食堂で刺身丼を食べ、ビックリしたものであるが、日本との交流があの頃よりも華やかになった現在でも、相変わらずこのような料理が残っているあたり、韓国人の心意気のようなものを感じざるを得ない。刺身丼には、キムチはもちろん、キャベツのサラダ、海藻サラダ、味噌汁、タクアン2種、日本そば(ざるそば風で、ツユが甘ったるい! いつもどこでも、韓国の日本そばは甘ったるいのである!)が付け合せとなっている。丼の中は、とにかくかき回して食べる。かき回せばかき回すほど美味くなっていくのが不思議である。

ホテルに戻ってしばらくゆっくりしていたが、21:10、趙一雨くんから電話が入った。もうホテルの近くにいるという。そこで電話をかけたまま、エレベータを降り、ロビーに移動する。そして、再会!

彼は夕飯がまだだということだったので、一緒に焼肉を食べようということになった。入った焼肉屋さんはちょっとハズレの感じがした。昼はサムギョプサル(豚肉の三枚おろし)やカルビなどの焼肉(プルコギ)もやっているのだが、夜はメニューが限られていて、結局はカルビクイを注文し、ビールを飲むことになった。彼は英語も日本語も出来ないので、私が必死に韓国語を話すことになる。彼は日本について詳しく(B’zや安全地帯のファンである)、J−POP全般や日本のプロ野球のこと、Jリーグのことなどに詳しい。アン・ジョンファンが清水エスパルスに移籍するという話も、実はこの時に彼から聞いていた。焼肉屋で2時間ほど話をしていたら、我々の後ろのテーブルに座っていたオジサンが、チラチラこちらを見ながらニコニコ笑っていた。焼肉は趙くんのおごりとなった。会計時、趙くんに例のおじさんが聞いた。

どうも、ヘタクソながらも、必死に韓国語を話そうとする日本人を初めて見たらしい。どうも、お粗末さまでした。

趙一雨くんとまだ、もうちょっと話したいという趙くんのリクエストで、コーヒーショップに入った。ここで1時間近く、私が日本から持ってきた安全地帯の復活第一弾シングルCDと、日本の音楽雑誌を見ながら、日韓の流行について語り合った。彼は「ワールドカップの時、日本人は勧告を応援していたって聞いたけど、本当?」と聞いてきた。私が「本当だよ! そういう番組だってあったんだよ!」と答えると、「韓国人は、日本を応援しなかった…」と、ちょっとトーンが下がってしまった。まぁ、いろいろあるさ! これから問題を解決すればいいじゃないか! 政府じゃなくて、我々でさ…と、お互いの気持ちの固まったところで、コーヒーショップが閉店。実に、3時間以上も話していたことになる。

彼の家は仁川にある。「帰れるのかい?」と聞くと、ソウル駅から深夜バスがあるから、それに乗って帰るよ!」との答え。地下鉄は24時をもって終了しているから、ソウル駅へはタクシーで向かわなくてはならない。「また、会おうね!」と握手を交わし、私はホテルに戻った。

明日は、いよいよ帰国日。