街の風景



今から12年前のソウル、5年前のソウル、昨年のソウル、そして今年…と、ソウルの街を見ると「まったく変わらないなぁ」と思う風景がある。それは、「露店」である。道沿いに色々な種類の露店がある。衣類や人形の露店が最近は目立つが、それでも「トッポッキ」や「パジョン」(日本では「チヂミ」のほうがわかりやすいかもしれないが、要はネギ焼きである)などの店の多さには勝てない。屋台で、それも20代前半くらいの女性が、会社帰りや学校帰りに、バスを待ちながら、友達とワイワイ話しながら、真っ赤なトッポッキにかぶりつく風景は、日本ではまず見られない。

衣類や人形では、「クレヨンしんちゃん」や「ポケモン」モノが多いのだが、最近では「ハム太郎」ものが多数ある。詳しくは「マンガ・アニメ事情」で述べることにするが、日本モノが多いのは、ソウルの街の風景では当たり前のことである。

それから、「下着」売り場が人目につくところに多いのも韓国の特徴かもしれない。アチコチ…地下鉄の改札前や道端で、女性用の下着、つまりブラジャーが売られている所には、若い女性ではなくオバサン方が群がっている。そして、サイズが合うかどうかを、試着室ではなくその場で(もちろん、服の上からだが)試してみて、気に入ったら購入するという風景を、見たくもないのに何度も見せられた。オバサン方は、たいていは数人で店を訪ね、一緒に来たオバサンにブラジャーのホックを止めてもらい、「違うわよ! ズレてる!」などとゲラゲラ笑いながら試着するのである。

日本ではすっかり姿を消してしまった「FIFAワールドカップ公式グッズコーナー」が、韓国では健在である。今もまだ、主要な駅の周辺で開店している。品数(グッズの種類)は日本の売店と同じくらい揃えてある。韓国人の心の中には、まだワールドカップの余韻が残っているのである。

かつて、韓国の、それもソウルのバスは、停留場の前後100メートルのどこかに停まり、乗客は「次のバスは、おそらくこの辺に停まるだろう」という “あたり” をつけ、バスが違うところに停まると走って飛び乗ったのだが、今ではバス停周辺にキチンとバスは停まるようになったようである。それは、当たり前のことなのかもしれないが、“あの頃” の韓国を知る者からしてみれば、何となく寂しい限りである。

地下鉄乗車時に注意して欲しいことがある。「モノ売り」の話は昨年もしたが、今年もチューインガム売りなどのモノ売りに遭遇した。誰も買ってくれないのだろう、握り締めてグシャグシャになってしまったガムを、それでも諦めずに地下鉄車内で売ろうとするオバアサンを見た。それから、障害を持った人が、車内で「お恵み」を求めて車両から車両へ、移動していく。そのほとんどが、足を失ってボードに乗っている人か、視力を失ってしまった人で、乗客に手を差し伸べてお金を要求する。1車両に2〜3人ほど、500ウォン程度の施しをする人もいるが、ほとんどが無視している。それもそのはず、「障害者」の半分以上は「ニセモノ」だからである。視力障害者の方々は、首からカセットを下げ、聖歌らしき曲を流しながら歩いてくる。私の見た視力障害者の中には、電車の急な揺れにもピョンと体を跳ねながら対応している “つわもの” もいた。明らかにニセモノである。

「老弱者、障害人のために、空けておきましょう」と書かれた席がある。日本でいう「優先席」なのだが、表現が直接的で、違和感を覚えてしまった。

それから、これは昨年から「おかしいなぁ…」と思っていたことなのだが、昨年から地名を英語表記する際の方式が変更になったらしい。昨年、金浦(キムポ)空港行きのリムジンバスに「Gimpo Airport」と書かれていて、「あれ? Kimpoじゃないの?」と思ったのだが、どうやら、子音は濃音・激音・破裂音をアルファベット上ですぐわかるようにするために、母音はその違いをよりハッキリわからせるようにするために

などと表記を変更してある。韓国語に通じていない方で、さらに古いガイドブックや観光地図を持っている場合は、よく注意しないといけない。最低限、自分が訪ねる場所のハングル表記を覚えておいたほうが良いかもしれない。逆に、ハングル学習者にとっては、英語表記が楽になったといえる。