渡航前のYoshibei



3月31日(土)、映画“A Hard Day's Night”を観に行った帰り道、クイーンズ・スクエアにあるH.I.S.に立ち寄り、ユナイテッド航空のソウル往復航空券の予約を入れた。昨日は「かといって今、韓国に行けるほどの時間的余裕がない」なんて書いていた私が、やはり今ここで動かなければ…という思いに勝てず、4月5日から5日間、講義と研究のネタ探しに出かけることにした(日本大学国際関係学部での講義や、年内に提出予定の論文を進めるため、実際の韓国の動きを見なければならなくなったのである)。

閉店間際の18:30に入店し、「ソウル…、エアオン(航空券のみ)で!」と注文を出し、それも出発まで1週間もない急な渡航、マイレージの関係でユナイテッド航空でなければダメ…などと、注文が多かった上に、「今日、入金してください!」ということで、急いでキャッシュ・ディスペンサーを探してお金をおろし、再びH.I.S.に戻って…という慌しさ。にもかかわらず、店員の入江聖さんのあたたかな対応が嬉しかった。

帰宅後、ソウルのホテルに電話し、宿泊予約をした。急遽決心した韓国渡航ではあったが、トントン拍子にことが運び、「この分なら、韓国でも順調かも…」と思う。

滞在は4月5日(木)から9日(月)の4泊5日に決定し、滞在の主たる目的を「仁川国際空港がピカピカなうちに利用してみたい」ということと、「日本文化開放のその後(現在)をこの目で見たい」ということに定めたのだが、4月1日の夜になって、大事なことを忘れていることに気が付いた。私の主論文のひとつ「社会変動としての日韓新時代」執筆に際して多大なる協力を賜った韓国芸術総合学院音楽学校の閔庚燦(ミン・キョンチャン)先生に連絡を入れておかなかったのだ。閔先生にはお礼もしなければならないし、お会いして何か新しい情報を得る機会もあるのではないか…、そんな思いもあり、翌朝、閔先生のご自宅に電話したところ、運良く先生と話をすることが出来(先生は私のことを覚えていてくださったようだった)、学校で会って頂けることになったのである。

恐れを知らない私は、先生との会話を会えた後、KBS(日本でいえばNHK)日本語部に電話し、会って話を聞かせてもらえないかどうかを尋ねたが、放送局は月初めにいろんな業務があって忙しい…という理由で断られてしまった。が、韓日文化交流会議の李恵美(イ・ヘミ)さんという方を紹介してもらうことが出来た。この方は日本語が堪能で、急に電話をかけ、こちらの事情を一方的に押し付けてしまったのにもかかわらず、会って話を聞かせてくれるということになった。さらに、手書きの地図をFAXで送ってくれたり、キレイな文字(日本語!)でメッセージが添えてあったり…と、至れり尽せりであった。

こうして私も、韓国のネットワークを広げ、財産を増やすことが出来るのだなぁ…と思うと、感慨深いものがある。しかし、その前にやるべきこともたくさんあって…。

国際電話をソウルにかけ終えた私は、横浜市内の大手の銀行に「韓国ウォンの取り扱いはありますか?」と尋ねて回った。しかし、どこにもなかった。たしか、桜木町に韓一銀行の支店があったはず…という“あやしい”記憶と共に訪れた場所には、別のものがあった。仕方なく、その日は外貨両替を諦め、ヘアカットに行ってきた。

パーマをかけるために、美容師さんがロットを私の髪に巻きながら、「髪が痛んでますねぇ…」と何度も繰り返した。パーマをかけ終わり、カットに入ってもなお、「(あなたは)髪が細いでしょ? 前髪がね、痛んでいるんですよ。その上にパーマをかけたから、余計に痛んじゃった!?」などと爆弾発言! しかし、「あぁ、そうですか…ハハハ」と笑うしかない私が、そこにいた。

4月3日、暖かい一日だった。かつて口座を作っていた韓国外換銀行(有楽町駅そば)に行き、ウォンを手に入れた。「30万ウォン、お願いします」と、窓口に用紙を提出しながら言うと、「ちょっとお待ちください…。え〜と、2万8千300円になります」という。外貨の取引は、sellとbuyとでレートが異なるが、単純に手数料込みにしても、2万8千300円で30万ウォン…ということは、1ウォンが0.094円ほどでしかないということになる。1000ウォンが94円…。かなりのウォン安である。私の頭の中には、「ウォンを円に直すには、ゼロをひとつ取れば良い」という計算方法がインプットされていたのだが、それどころではなくなったらしい。

ちなみに、はじめて私が韓国に行った10年前は、1ウォンが0.2円だった。円安の時代だったので(1円が160円台だったように記憶している)、そういう換算レートだったということらしい。

ウォンを手に入れた後、大韓航空の営業所に立ち寄り、乗る予定のない国内線の時刻表をもらい、さらにインチョン空港の見取り図まで手に入れた。その足で韓国観光公社に行き、持ちきれないほどの資料をもらって帰った。

さらに、インターネットで朝鮮日報の日本語記事を検索して韓国の音楽事情や日本文化の受容度などを確認して驚いた! どう驚いたのかは、実際に韓国へ行き、この目で確かめてから報告することにしよう。