9月2日

美しい人は Can I have 7UP?…の日


訪韓前から、日本列島には台風がやたら訪れた。その台風が日本を抜けると、韓国方面に進む。いつもなら「あぁ、台風一過だ!」と喜ぶところ、今回はその韓国へ私が行くのだから、日韓の天気予報を同時に見ながら一喜一憂。横浜が晴れていても、ソウルが雨では…。

「韓国は全国的に水害」と、マスコミが報じていて、気が気ではなかった。連日連日、インターネットで台風情報を確認し続けた私…。そんな努力を神様がお認めになられたのだろうか、ソウルの天気が回復しているという情報を出発前に得た!

さて、いよいよ訪韓! 午前中、吉田整形外科医院で腰の牽引治療を受け、帰宅して最後の渡航準備をする。今回は成田空港までの移動に成田エクスプレスを利用することにしたので、昨年よりも時間の読みやすい移動になりそうである。私の予約した成田エクスプレス27号は、横浜を14:30に出発。横浜駅には、門下生の一人(本人の希望により、名を伏す)が見送りに来てくれた。成田エクスプレスが出発してもなお、手を振ってくれていた。ありがとう!

成田エクスプレス27号成田エクスプレスに乗り込んだYoshibei成田エクスプレス、これより出発!

門下生の姿が見えなくなった後、客席へ移動しようとして早速ハプニング発生! 私の指定席券には「7号車5番A席」とあるのだが、そこにはすでに大学生風の男の子が座っているのである。「Yoshibeiのいる所、事件あり!」と言うだけのことあって、離日前からこの有様! 男の子に声をかけるが、ヘッドホーンステレオに夢中で、気付いてくれない。彼の視界に入るところに移動し、ちょっと大きめに声をかけてみた。すると、やっと私の問いかけに気付いてくれたようで「何ですか?」と。私が、「そこの席、あってますか?」と聞くと、彼は自分の指定席券を見せてくれた。そこにも「7号車5番A席」とある。すわっ、JR東日本のダブルブッキング?…とビックリしたが、よく見ると、彼の指定席券は1時間後の電車のものだった。慌てて席を立つ男の子…ちょうどそこに車掌さんが。彼はアタフタしながら乗る電車を間違えたということを告げていた。「東京で乗り換えだね!」とクールな車掌さん…。

15:58、予定通りに成田空港到着。荷物を肩に担いで改札を抜けると、目の前にはパスポートコントロールの係官が並んでいる。ここでパスポートを呈示し、空港の出発ターミナルへ急ぐ。私の利用するユナイテッド航空(UA)は第1ターミナルにチェックインカウンターがある。出発ターミナルは4階。エレベータを使わずにエスカレータで4階へ行くのが、私流。

UAエコノミークラスのチェックインカウンター前には、長蛇の列が出来ていた。それにひきかえ…ファーストクラスやビジネスクラスのチェックインカウンターの空いていること。荷物が重いので床に置いていたが、少しずつ列が前に動くため、荷物を持って少し移動→床に荷物を置く→荷物を持って少し移動…という連続で、訪韓前から治療中の腰に負担がかかり始める。20分待って、やっと自分の番が回ってきた。「どうぞ!」という職員に私が差し出したのは、クレジットカードとUAから送られてきた旅程表。私の場合、インターネットで飛行機の予約をしているので、バウチャーはなく、予約証明の旅程表と、決済に使ったクレジットカードを呈示することによって、その場で直接ボーディングパスを受け取れるシステム(Eチケット)を利用したのである。

チェックインと同時に、重い荷物ともしばしの別れ。身の軽くなった私は展望デッキに出かけ、飛行機の写真を撮りまくる。そして、ビジネス&トラベルサポートセンターに出向いて、韓国で使用する携帯電話を受け取る。今回、携帯電話をレンタルしておいたことが、あとでどれだけ私を助けてくれたか…韓国における携帯電話の浸透ぶりは、昨年、月刊『韓国文化』2001年10月号の記事として執筆したのだが、いざ自分が韓国で携帯を使用すると、その便利さが身にしみて理解できたりするものである。

売店で、活動再開した安全地帯のマキシシングルを購入した。韓国で再会する予定の友人が安全地帯のファンでもあるため、お土産に…と思ったわけである。

まだまだ時間が余っていたので、JCBカードのサービスカウンターに出向いてみた。そこでソウルのガイドマップとウェットティッシュをもらう。

チェックインで20分も並ばされたのだから…ということで、出国審査を早めに済ませることにした。しかし、出入国カード(EDカード)が廃止されたこともあり、あっけなく審査が終了してしまった。このところ、毎年必ず海外に出ているので、空港の施設・設備については良く知っているつもりであったが、なぜか今回は緊張してしまい(この緊張の理由は、あとで判明した)、手荷物と乗客のX線検査の際に、荷物をすべて抱えたままX線チェッカーをくぐろうとしてしまい、「あっ、すいません、荷物はこちらです!」と係官に言われてしまい、“かなり” 恥ずかしい思いをしてしまった! X線のチェッカーを逆方向にくぐり直した私…。
成田空港第1ターミナル22番ゲート前
「UA883便は22番ゲートからの搭乗です」とチェックイン時に言われた上、フライトボードにもそのように表示されていたので、22番ゲート前に迷わず向かい、そこで時間をつぶしていた。当初、UA883便は19:00出発の予定であったが、ゲートにもボーディングパスにも、出発時間が18:45となっていた。まぁ、早く出発すればそれだけ早くソウル(仁川)に到着するだけの話。ところが、「UA883便は、22番から24番に搭乗ゲートが変更になります」というアナウンスが入る。最初に英語、次に日本語でアナウンスさえたのだが、英語のアナウンスで状況を把握した人はそこで移動し、日本語を聞くまでわからなかった人は、日本語アナウンスをひとしきり聞いてからの移動…。当然、あとから移動してきた人の座る席がなくなってしまったのは言うまでもない。

席に座ってゲート前の案内を見て再びビックリ! 出発時間の変更までされているのである! 予定出発時間が19:30という表示がされている。私はすかさず、かかりつけの今井医院の今井先生から紹介された金光哲(キム・グァンチョル)さんに国際電話を入れた。金さんは、仁川国際空港まで私を出迎えにきてくれるということになっているのだ! 飛行機が遅延していることを告げ、新しい待ち合わせ時間を設定した。

出発を待つユナイテッド航空機ひとり旅は、こういう出発遅延が生じた時に退屈でたまらなくなる。話し相手がいないのは、かなりツライ。寝るわけにもいかないし…。ところが、地上職員の動きが急に慌しくなり、「何? コンフォギュレーションOK? それじゃあ、もう(お客様を)ご案内して!」という無線のやり取りが聞こえてきた。そして、18:30になった頃、驚異的なスピードで乗客の搭乗案内が開始され、私を乗せたUA883便は19:10にテイクオフした。

私の座席は51K…つまり、3人並びの座席の窓側である。51Hは韓国人女性が、51Jには韓国系アメリカ人男性が座っている。彼らはUA883便の始発であるシカゴから乗り込んでいるようで、そこで意気投合して英語と韓国語でずっと会話を楽しんでいた。私のことなど眼中にないらしい。ちょっと睡眠をとろうかなと思っても、彼らの声がうるさくて眠れない。

UAの太平洋路線には、日本語を理解するアテンダント(日の丸のバッジが目印)が必ず搭乗しているのだが、UAをいつも利用する私の前に、日の丸のバッジをつけたアテンダントが現れたためしがない。当然、ドリンクなどのサービスを受ける時には英語を使用することになる。今回も、ドリンクサービスで私が発した言葉は、

Can I have 7UP?

であった。私はUAに乗ると、いつも7UPを注文する。馬鹿の一つ覚えではなく、7UPが楽しみなだけである。かつては日本中のどこの店でも良く見かけたのだが、最近はめっきり出荷量が減ったのか、国内で見ることが少なくなった。そこで、アメリカの航空会社であるUAに乗ると、ノスタルジックな思い出とともに、7UPの注文をするのである。

7UPと一緒に、機内食としてスナックボックスが配られた。機内食を楽しみにしていた私は、空港でも食事はとらずにいた。ワクワクしながら「再生紙を100%使用しています」という箱を開けると、コールドビーフサンド、バナナ、オレンジジュース(90ml)、アーモンド入りスナック、アーモンドクッキーが顔を出した。これじゃ、大食漢の私の胃袋は満たされない!

「間もなく、当機は着陸の態勢に入ります…」というアナウンスが、英語、韓国語、日本語の順番に入った。すると、私の横でずっと会話に興じていた2人が、「日本語のアナウンスなんて、要らないよな!」という話をし始めた。そして、インチキ日本語を発し、ゲラゲラ笑っていた。再び日本語のアナウンスが入ると、「日本語不要!」と言い出す有様。悪いが、私はお前らの会話の内容はほとんど理解しているし、お前らの理解できない日本語も理解する人間だ! ここに、韓民族のパーソナリティの1つを見るのだが(詳しいことは、年明けに出版される予定の著書で述べる予定)、最後には、韓国系アメリカ人の男性が「日本人は悪いヤツばかりだ! 何しろ、南京で中国人を虐殺したんだぞ!」と付け加えた。しかし、韓国人女性は「それって、いつのこと? 南京ってどこ?」と聞き返していた。韓国人は日本人に歴史的な問題があるといつも言っているが、自分たちと関係のない歴史には関心が薄いらしい。

私は口をはさめばケンカになるところだったろう。ただ、Pure Koreanでなくても日本人が嫌いなのだなぁ…ということがジワジワ伝わってきた。着陸前に、不愉快になってきた。

21:15に、UA883便は無事、仁川国際空港に着陸した。いつも思うのだが、着陸すると、機内はにわか慌しくなり、自分の荷物を出し始める人が次々に現れるのはなぜだ? 順番通りに降機すれば、機内は混雑しないのに、なぜ混雑するのか? 不思議な人間性を見る。しかし、今回は私も「我先に」的人間のひとりだった。実は21時を回る頃からずっとトイレに行きたくてたまらなかったのである。しかし、その時間はすでに着陸準備中でシートベルト着用サインが点いたまま。着陸の振動さえ、私には…。
仁川国際空港のトイレにて(「美しい人は、とどまった席も美しいです」とあります)
機外に出て、すぐにトイレに走った私。ここにも、私と同じリーチのかかった人が列を作っている。トイレ内は概ねキレイ。用を済ませ、生気を取り戻した私が見たものは、トイレの清掃担当者の写真・名前と、

美しい人は、とどまった席も美しいです

と韓国語で書かれたシートであった。「とどまった席」とは言わずもがな。な〜るほど、うまい表現だなぁ…と関心しつつ、入国審査に向かった。

入国審査は「韓国人(Korean)」と「非韓国人(Non Korean)」とに分けられる。当然「非韓国人」ブース前に並んだ私ではあるが、なかなか順番が回ってこない。欧米系人には「あちらへどうぞ!」と空いたブースを勧める空港職員も、日本人パスポートを持った者には無言である。

入国審査を終え、荷物のピックアップを終えると、かつては免税・課税にかかわらず、長い列の出来た税関に並ばされたものだった。しかし、昨年から何の追加審査もなく、「申告するもののない人は、そのまま入国してください」と言わんばかりに、免税ブースには職員が一人もいないのである。よって、ここは通過するだけで良いことになる。

到着ロビーに出て、すぐに携帯電話の電源を入れた。いよいよ、私も韓国で携帯電話を使用する時が来た! まず、金さんに電話を入れ、到着ロビーにいることを告げた。すると、もう少ししたら空港に到着するとのこと。模範タクシー乗り場で待ち合わせることにした。そして、韓国芸術総合学院音楽院教授の閔庚燦(ミン・キョンチャン)先生に電話をし、明日研究室でお会いできることを確認した。電話を終えると、「オ〜? ニホンノケイタイデンワデスカ?」と、2人組の韓国人から声をかけられる。相手は片言の日本語を話しているが、私がここで日本語を返してしまうと、何やらよからぬことに巻き込まれてしまいそうだったので、韓国語で返答する。相手は日本語、私は韓国語…妙な会話が続いたが、「友達を待っているんだ!」と私が言うと、「失礼しました」と去っていった見知らぬ韓国人。

私は昨年も仁川国際空港を使用しているのだが、入国・帰国ともにソウルとのアクセスにはバスを利用したため、そして空港前の照明が暗いため、タクシー乗り場がわからない。ガイドブックを出そうものなら、また何だかんだと言い寄られるだろうから、空港係員にタクシー乗り場を聞いた。教えられた通りに歩いていると、一般タクシー乗り場に出た。運転手たちの客引きが始まる。強引に私をタクシーに乗せようとしているのである。私が「約束があるから」と言って断ると、すべての運転手が、私のことを諦めてくれた。私が乗るのは、しかし、タクシー乗り場付近は暗い上、模範タクシーのボディは黒い。なかなか見つからないでいると、黒いボディのタクシーがいっぱい止まっている所に到達した。また客引きにあうが、「ここで約束があるから」と断る。しかし、いつまで待っても金さんが来ない。私も時計を見ながら焦り始める。時すでに22:15。私を心配して、タクシーの運転手さんが一人、声をかけてきた。

何と、私は道を間違えていたのである。「タクシー乗り場はどこですか?」と聞いたものだから、きっと一般タクシーの場所を案内されたのだろう。またもや場所がわからなくなる。警察官に模範タクシーの乗り場を聞き、何とかたどり着いた時に、「プップ〜」と車のクラクションが私の後方から聞こえた、ちょうど金さんが到着したところだったのである。「服部さん? 乗ってください」という流暢な日本語に導かれ、タクシーに乗ろうとするが、他のタクシーの運転手がなにやら金さんに言い寄っている。「予約だよ! 予約!」と金さん。違法客引きと間違えられたらしい。

やっとの思いで金さんと合流できた私は、荷物をタクシーのトランクに入れてもらい、待ち合わせ場所を間違えて客引きにあったことを話すと、「一般タクシーはダメです。違法な料金を請求されます」と、昨年このサイトで私が述べたことと同じ状況が、いまだに浸透していることを知らされる。それにしても、金さんを今井先生に紹介していただいて助かった。夜遅くの到着、バスの少なくなる時間帯…そこへ模範タクシーの運転手をしている金さんの協力を得られて、どれだけ私の負担が軽くなったことか。ホテルまでの1時間、金さんと日本語・韓国語の入り混じった会話をする。夜だったため、景色が良くわからず、観光案内はなく、現在の韓国の状況を聞かせていただいた。

23:10、明洞(ミョンドン)のサボイホテルに到着した。タクシーから荷物を降ろしつつ、金さんが「何かあったら、すぐに私の携帯電話に連絡してください。いつでも力になりますから」とおっしゃった。心強い味方を得たような気がした。

チェックインをすると、ベルボーイが荷物を715号室まで運んでくれた。いつもならエレベータで「女の子を紹介します」などと言われるところ、今回は「今、到着ですか? 大変ですね」と、ひとり旅の私をねぎらってくれた。ホテルの改装とともに、スタッフの接客も改善されたのかな…と、嬉しくなった。

荷物を運んでくれたベルボーイにチップを渡し、時計を見る。すでに23:30前なのだが、機内食が少しだったため、まだまだ空腹感がある。そこで、食事をするために外出することにした。さっきのベルボーイに「この時間でも開いている店を知りません? 食事したいんですが…」と聞いてみると、明洞の街を一緒に歩いて店を探してくれた。しかし、バーやノレバン(カラオケボックス)しか、空いている店が見当たらない。ところが突然、「忠武(チュンム)キムパプ」(キムパプとは、「のりまき」のこと)の存在を私が思い出し、「忠武キムパプって店、この辺にあったように思うんですが…」と聞くと、「この辺にありますね…。あっ、あれです! まだ開いているみたいですよ!」と、店の前までついて来てくれた。宿泊客に何かあってはいけないということなのだろうか、とても有難かった。

忠武キムパプには、客が誰もいなかった。店員のオバサン2人が、世間話に花を咲かせている。しかし、ここの営業時間は24時までだったように記憶している。そこで、「まだ、大丈夫ですか?」と聞くと、話に夢中になっていたオバサンたちが「いいですよ! 席に座ってください!」と私を促した。席について「キムパプ、1人前!」とオーダーし、昨年と全く同じ味に再会した。ここは、おかず(付け合わせ)のおかわりが何度でも出来るのだが、夜も遅く、ちょっと疲れていた私はおかわりまでには至らなかった。ただ、韓国へ何度か来て、キムパプ好きになった私を、今年も忠武キムパプは満足させてくれた。しかし、心の中で、もうひとりの私が叫んだ…「もっと、いろんなキムパプを食べ回るぞ!」と。

食事を終え、明洞の街を歩いている私に、「女の子と遊びませんか? 女の子を紹介します」という日本語の客引きに数回出会った。私が日本人であることを見抜いて、日本語で話し掛けてくる。そして「日本人はスケベ」のステレオタイプが今も韓国に残っていることを思い知らされる。こういう時は、空港と同様、一切日本語を話さないようにしている。ヘタクソでも韓国語で応対する。韓国語を話す、このおかしな日本人に、韓国人は悪い印象を持たない。たいていは「何かあったら、ここに連絡してください」と言って、すぐに別のカモを探しに行ってしまう。

ホテルへ戻る前、ホテル近くのコンビニLG25で「Near Water O2」という飲み物とスニッカーズを買い求める。飲み物のほうは “Near” というくらいだから水のような飲み物だろうと思っていたのだが、ホテルに帰ってよく見てみたら「ザクロ味」と書いてあった。ザクロ味の水…。

とりあえず汗を流そうと思い、バスルームに入ってビックリ! シャンプーがないのである。部屋のデスクの引き出しを開けたら、そこにシャンプーが入っていたのだが、1000ウォン(約100円)とある。これを使っても良かったのだが、量が少ない。環境を考えて、歯磨きセットとシャンプー、ひげ剃りの無料配布をやめたというのは昨年も経験済みだったので、日本から持参したリンスインシャンプーが役に立った。

それから、翌日以降の準備をし、2:30過ぎにベッドに入った。こうして、慌しく韓国珍道中が始まった。4泊5日の「旅」だが、調査・蒐集に動けるのは、実質的に3日しかない! 明日から「勝負」が始まる。