5日目 4月9日(月)



昨夜、今までに買いこんだCDや文献の多さに、「バッグに入りきらない!」と嘆いた(?)が、それよりも「男の一人旅、それも4泊の旅なのに、何でこんなに衣類が多いのだろう?」と、自分の計画性のなさを責めた。しかし、その問題も何とかクリアし、早めに就寝した。

6:20起床。着替えなどを済ませて7:30にチェックアウトした。そして予約しておいた8:00発の無料送迎バスに乗り込み、仁川国際空港を目指した。さらばソウル!

バスの中には、韓国と日本の交流史を研究しているために資料蒐集をする目的で滞在していたと言う人もいれば仁川国際空港へは高速道路を通って…遠くに大韓航空機が見えます、「韓国は女に金がかかるから、ホテルは安くあげたかったなぁ…」などと言う者もいて、なんとなく複雑な気分となる。おまけに、バスの運転手さんが途中でバスを降り、タイヤを何度も蹴っていたのが、乗客の不安を誘った。運転手さんの隣りにすわっていた、歴史研究家が韓国語で「何があったんです? 大丈夫ですか?」と聞いていたが、運転手さんは「大丈夫!」と繰り返すだけだった。

バスは高速道路をひた走る。バスはソウルから郊外に抜けていくので渋滞とは無縁だったが、対向車線は渋滞渋滞…。

高速道路を抜けたあたりから、遠くに飛行機が見え始めた。青いボディ…、あぁ大韓航空。空港が近付いた証しであるが、それと同時に、出国が迫ってきたことへの証しでもあった。

出発ロビー入口出発ロビー入口出発ロビー内カート乗り入れ禁止?
フライトボード搭乗ゲート前搭乗ゲート43ユナイテッド航空に搭乗中

空港でのチェックインは早めに終わってしまった。飛行機の出発予定時間が13:05なのに対し、私の空港到着時間は9:20。そこで、出発ロビーの3階のみでなく、1階、2階、4階と、隈なく探索をしてみた。そして、しばらくしてからお腹が空いてきたので、朝鮮ホテル直営のレストランで解腸湯(ヘジャングク)を注文した。

食後、液晶画面の公衆電話でEメールをBUGメーリングリスト宛てに送ってみた。このサービスは、送信が30秒以内に終了するメールであれば、何度使用しても無料であるから、とても頼もしい。しかし、ハングルと英語のみ対応なので、英語で文章を送ることにした(私のパソコンはハングルが読めるようになっているのだが…)。

さらに時間が余ったので、偶然見つけた書店に入ってみた。これが運命か? ここに、私が求めていた(ような内容の)本があったのだ! 迷わず、その本を購入し、足りない土産物を免税店で購入し、11:00に43番ゲートに向かった。ここで、ユナイテッド航空のグランドスタッフの男性をつかまえ、ゲート前で写真を撮って欲しいと頼むと、快くシャッターを切ってくれた。相手は航空会社のスタッフなので、英語で良かろうと英語で話しかけたが、やはり韓国語よりも英語のほうが楽である。細かい表現までできるので、コミュニケーションに余裕が生まれた。

12:25に搭乗開始となったUA882便は、ほぼ定刻にタキシングを開始した。離陸した後、機体は激しく揺れ始めた。ガタガタというようなものではない! ガクンガクンである。機体が揺れるたびにドリンクサービスなどが中止となり、客室乗務員はジャンプシートに着席した。

フライト時間2時間のうち、3分の2はガクンガクン状態…。まるで東京ディズニーランドのスペースマウンテンに乗り続けているような感じであった。翼のよく見える窓側の席に座っていた私…、翼が異常なまでにしなっているのを日本語で安心!?見た!

15:00を過ぎた頃、窓の外に、九十九里の長く続く直線の砂浜海岸が見えてきた。いよいよ着陸体勢である。

15:25、あんなに揺れたのが嘘のように、成田空港に無事に着陸した。やっとの思いで帰国した。

しかし、ここで私の悲劇が終わったわけではなかった。税関で私の前にいた韓国人2人が、メチャメチャ課税されるものを持ち込んでいたのにもかかわらず、「免税」の列に並んでいたため、係員に注意されながら書類を作成させられ、そのため私の審査までにえらく時間がかかってしまったのである。仁川でも時間がかかったし(これは私に責任があるのだが…)、何だか空港では並ばされる思いばかりをさせられたような気がする。

やっとすべての手続きを終えて到着ロビーに出た私は、リムジンバスのチケット売り場に直行した。「YCAT行き、1枚ください」と言うと、「5分後のバスをご用意しました。すぐ、バス停に行ってください!」と笑顔でキツイことをおっしゃるお嬢様。最後の最後まで「勘弁してくれぇ!」という珍道中だった。