3日目 4月7日(土)


ソウル中央郵便局
昨日と同じように韓国風「日本朝定食」をとり、10:00にホテルを出発した。まずはソウル中央郵便局へ。ここで切手とハガキを大量に買い込んだ。私の隣りにいたおじいさんが「何でそんなに買うんだ?」と聞いてきたので、「お土産です。日本からきましたので」と答えると、大笑いされてしまった!?

それから、ロッテ百貨店前を歩いて地下鉄の乙支路入口(ウルジロイプグ)駅に出て、地下鉄2号線(日本で例えると大江戸線! でも、こちらのほうが何年も先に開通している)で梨大(イデ)駅で下車した。梨大というのは、かの有名な梨花(イファ)女子大学校のことである。日本でいえば御茶ノ水女子大学のような大学で、ちょっとスケベ心が出て(?)、女子大生を見たくなったので、下車してみた。

梨花女子大学校いるいる…可愛い女子大生が! と思っていた時、私の耳に日本語のJ−POPが大音響で飛び込んできた! 何ごと??? 私はその音の源を探し始めた。女子大生はもうどうでもいい! すると、その大音響はCDショップの店頭スピーカーから流れていることがわかった。「これは、ひとつインタビューかな?」と、そのCDショップに入って店内をぐるっとひとまわり。昨日、日本文化院で「Country Kko Kkoというグループが、チェッカーズの『ジュリアにハートブレイク』を韓国語に直してヒットさせたんですよ!」という情報を聞いていたので、店員に「Country Kko Kkoの『ジュリア』って曲、知ってる?」と聞いてみた。すると、「知ってるよ。このアルバムに収録されてるから」と教えてくれた。「そのCD買うから、他にもJ−POP関連のCDがあったら紹介して!」と頼んだ。そして、「B’zの曲が流れているけれど、B’z好きなの?」と聞くと、「B’zの大ファンなんだ! 君は日本人? B’zは日本一かい?」と聞かれたので、「B’zも良いけれど、GLAYもいいんじゃないかな? 今、日本で一番と言えば、モーニング娘。や浜崎あゆみ、宇多田ヒカルかな?」と答えると、彼はそれらのアーティストのことはよくチョー・イル君と知っていた。どうして知っているのか訪ねると、「インターネットがあるじゃないか!」とのこと。B’zのCDはどうして手に入れたのか尋ねると、「日本で買ったり、インターネットでMP3ファイルをダウンロードして、CD−Rで作った」とのことだった。確かに、韓国のCDショップでは日本語で歌われたCDは売ってはならない。が、日本語CDを買ってはいけないとか、聞いてはいけないという規制はない。だから、彼は堂々とB’zのCDを流していたわけだし、それを街の人々もおかしいとは思わなかったわけである。

彼とは1時間くらい話した。お互いの自己紹介をして、彼の名前がチョー・イル君であることを知った。「友達になったよね?」と私が言うと、「もちろん!」とチョー君。結局、そこでCD3枚を購入。

慣れない韓国語でのインタビューではあったが、収穫は大きかった。チョー君と別れた後、本来の目的地である新村(シンチョン)へ歩いて行った。昨日、閔教授から「若者の傾向を調べたければ、新村に行くことを勧める」と言われていた為である。この近くには延世(ヨンセ)大学校という有名校もあり、若者でひしめき合っていた。ちょうど昼時だったので、私も空腹。キムパプ学校という店に入り、ウドン定食(ウドンとキムパプのセット)を頼む。4000ウォンというから、約375円というところか、安くてメチャクチャうまかった。店員の女の子も、ちょっとはにかみやさんで可愛かったので、わざと注文をその子が近くにいる時にしてみたり…(ここまでくると、私はただのエロおロッテ百貨店やじですね!)。

新村はとにかく人がすごく混んでいたので、再び地下鉄2号線で乙支路入口に戻り、ロッテ百貨店にある免税店に行った。私はここで、いつも高麗人参のカプセルを買うことにしている。今回もしこたま(?)カプセル入り高麗人参と人参茶(顆粒)や携帯ストラップ、キムチなどを買い込んで、両手に持ちきれないほどの荷物を抱えてしまった。

フレヤタウン東大門一度、ホテルに戻り、荷物を置いて、PC房でインターネット。そして東大門市場(トンデムンシジャン)へ出た。ここでトラブル発生! 私の持っていった郵便局と銀行のキャッシュカードは海外でも使えるものなのだが、銀行のものがどうしても「アクセス障害」というメッセージが出る。そこで日本に電話して「回線を調べてくれ!」と頼むと、「やはり、国際回線の障害で、あなたのカードが使えないわけではないみたいです。1時間くらい経ったら、また使ってみてください」と言われる。私は日本でもそうだが、極力「現金」を持ち歩かないタイプの人間で、今回も現金が必要になったら銀行で下ろせば良いとだけ考えていた。だから、回線障害となると…。しかし、1時間後、このトラブルは回避された。しかし、5年ぶりに東大門に来て驚いたのは、新しくFreya Townという若者受け&国際化を狙ったツインタワーがそびえ立っていたことである。外見は素晴らしいのだが、中は雑多で道に迷う。エレベータガーソウル駅南大門ルをつかまえて、道案内をお願いしたくらいである。

その後、東大門競技場まで歩き、地下鉄4号線で會賢(フェヒョン)に出た。そこから坂道を歩いて、南大門市場(ナムデムンシジャン)を目指したが、途中で黄昏時のソウル駅をカメラに収める。そして、市場入り込んで目にした光景は…、韓国のエネルギーの根源を見たようなものだった。懐かしくもあり、また、人ごみに負けそうな勢いもあり…。とにかく私は、韓国人のフリをしていたのだが、日本語で「オニイサン、ミテイクダケデイイカラ」などとアチコトッポッキ南大門市場チで声をかけられてしまったあたり、日本人を捨てきれない自分に気付いた。やはり私は日本人…。アイデンティティとキャラクターは、簡単には変えられないものである。

晩御飯代わりに、韓国の屋台名物のトッポッキ(餅を甘辛の唐辛子味噌であえたもの。美味!)を買ってホテルに戻った。

しかし、肩の痛みがひどくなり、早めにベッドに入ったものの、どうも早寝の習慣のない私にはそれが無理だったらしく、TVをつけてみた。そこで上映されていた恋愛映画に涙してしまった。