2日目 4月6日(金)



今日は、韓国藝術総合学校音楽院(日本でいえば、東京芸術大学音楽学部)の閔庚燦(ミン・ギョンチャン)教授と韓日文化交流會議の李恵美(イ・ヘミ)さんにお会いする日である。昨夜から少々緊張して、なかなか眠ることが出来なかった。

それでも、朝起きてから、かつてソウル滞在した時と同じ朝食をとった。「日本朝定食」という名のものなのだが、ゴハン、味噌汁、いわしの丸干しの焼いたもの、イカの韓国風塩辛、キムチ、漬物2種、ラッキョウ、目玉焼き、ノリという組み合わせなのだが、日本人の私にも奇怪に映る「日本朝定食」なのである。10年前とまったく変わらぬ風潮に、懐かしさを覚えるのと同時に、「勘弁してくれ!?」という気持ちが混在した(とか言いながら、翌日もこれと同じものを注文した私…)。

朝食後、自宅に国際電話した。留守電の確認である。すると一件、仕事の電話があった。時間割の変更をしてほしいというのだ! 「韓国にいるって、FAXしたじゃないか?! こっちにかけろよぉ!」と思いつつ、出講先に国際電話する。電話代が高くつくのがイヤだったので、「ハイ、いいですよ!」と返事をして電話を切った。

ホテルのコンシェルジェに「藝術の殿堂(イェスレチョンダン)へはどう行けば良いですか?」と聞いてみた。結局、地下鉄で行くのが一番確実だということになり、明洞駅から地下鉄4号線に乗り、忠武路(チュンムロ)で地下鉄3号線に乗り換えて南部ターミナル(ナムブトーミノル)駅に出た。時間は10:30過ぎ。そこで公衆電話から本日お会いするの携帯電話に連絡を入れ、「これから伺います!」と伝えて地上に出た。

しかし…、方向感覚がなくなっていた私は、どちらに行けば良いのやらわからなくなり、信号待ちの人に「芸術の殿堂に行くには、どうしたら良いですか?」と聞いてみた。しかし、その人は私が日本人であることを察したのか、それとも本当に困惑したのか、「あそこにシャトルバスがあるでしょ? あれが藝術の殿堂方面行きだよ」と教えてくださった。丁寧にお礼を言い、バスに乗り込む際に念のため「藝術の殿堂へ行きますよね?」と運転手さんに聞いてみた。すると運転手さんは「300ウォンだよ!」という返事。市内バスが600ウォン(約55円)だから、これは安い。見ると、客のほとんどは女子学生で、全員がコントラバスやバイオリンなどを手にしている。「この子たちについて行けば、韓国藝術総合学校音楽院に行けるな」と読んだ私…。狙いは大当たりだった。しかし、楽器ケースに貼ってあるステッカーは「マイメロディ」だの「キティちゃん」だの、サンリオものばかりだった。

学校に着いて、エレベータで閔教授の研究室に向かおうとして、守衛さんに捕まった。「何の用ですか?」と聞かれ、「閔先生と約束があります」と答えると、「では、エレベータでどうぞ!」と優しく促してくれた。312号室を探しあてオペラハウス(芸術の殿堂)韓国藝術総合学校ると、そこには閔教授の姿があった。2年半ぶりの再会である。お土産代わりに、かつて閔教授から情報提供を受けて執筆した論文と、『ストレス・スパイラル』を持参した。閔教授から伺った話は後日、私の学術論文および学会報告で述べることになるので、詳しくはここで述べられないのが残念なのだが、「現代情勢」のコーナーで、その一部を紹介するのでご勘弁を!

閔庚燦教授としかし、閔教授からの情報を総合すると、「まだ、日本大衆文化を政府は完全に容認しているわけではない」と言うことに尽きる。いじめ、定年離婚、援助交際など、日本文化を開放することによって、今までの韓国ではありえなかったことが問題化しているとも教えられた。ちなみに、閔教授は日本留学の経験をお持ちなので、インタビューは日本語で行った。

閔教授から、「その気があるのなら、日本文化院(在韓国日本大使館広報文化院)のスタッフを紹介してあげようか?」と言われ、「是非お願いします!」と私。孔章源(コン・ジャンウォン)さんを紹介してもらった。孔さんとは夕方にお会いすることとなった。至れり尽せりである。

結局、閔教授の研究室には13:30までお邪魔した。その間、閔教授の学生が数名、質問などのために入室したり、他の教授が来られたり、閔教授の多忙ぶりが伝わってきた。

南部ターミナル駅の地下街は、花屋さんだらけ。その中にラーメン屋さんがあったので、そこでラーメンを注文した。ここでの出来事は、「現代情勢」のコーナーで紹介しよう。とにかく壮絶なものがあった?!

15:00ちょっと前、地下鉄4号線の恵化(フェファ)駅に到着し、そこから韓日文化交流會議に電話をしたら、李恵美さんが「改札前で待っていてください。迎えに行きます」と親切な提案をしてくださった。5分後、背の高い、色白美人が現れ、「服部先生ですか? 李恵美です。初めまして!」と流暢な日本語であいさつをされた。

李恵美さん韓日文化交流會議は有名な大学路(テハンノ)のマロニエ公園にある。その事務室で1時間半ほど、インタビューをさせていただいた。李さんの学生時代のこと、大学で日本(語)学を専攻したいと言った時に親から反対されたこと、今後の日韓関係のこと、日本(新宿)に語学留学をしていた時のことなど、貴重な経験を語っていただいた。もちろん、インタビューは日本語で行われたのだが、日本人と話しているのと同じような感覚であった上、とても楽しい時間が過ぎていった。しかし李さん、既婚者である。「だから何なんだ?!」と言われそうだが、ダンナさんがうらやましい!

「実は、日本文化院に行かなければならないんですよ」と私が言うと、「エッ? あそこは午後5時で業務終了ですよ!」と李さん。そこで電話を借りて日本文化院の孔さんに連絡を入れ、「今からタクシーで向かうので、待っていてください!」と伝える。すると李さんが「私がタクシーを拾いますので、そのタクシーに乗って行ってください」と、最後の最後まで、ものすごく親切な対応だった。タクシーを拾うと、「おじさん(韓国では、おじさん、おばさん、おにいさん、お姉さんなどと相手を呼ぶのが普通)、安国(アングク)の日本文化院までこの人をつれて行ってあげてください」と運転手さんに韓国語で伝えてくれた。もうこうなると、「感謝」などという言葉では語れないほどの優しさである。涙が出そうなくらいになり、李さんが見えなくなるまで、タクシーの中から手を振った。

タクシーで安国の日本文化院に到着したが、運転手さんが「あれが日本文化院だけれど、対向車線だから、ここで降りて地下道を通って行きなさい」と教えてくれた、料金は2100ウォンだったが、あいにく1万ウォン札しかなかったのでそれを出すと、7000ウォンのおつりが帰ってきた。そして「100ウォンはサービス! 早く行きなさい!」と促してくれた。

16:50、日本文化院の建物に入った。受付で「日本文化院は何階ですか?」と聞くと、「2階です」と教えられる。階段で2階に上ると、ガラス張りの守衛室があり、目の前の電話が鳴った。どうやらこれで中と会話をしろと言うことらしい。電話に出ると、守衛さんが「どういう用件ですか?」と聞いてきた。「服部と申します。孔さんと約束してあります」と答えるや否や、孔さんが李善順(イ・ソンスン)さんと一緒に現れ、「お待ちしておりました。さぁ、こちらへ!」と、地下に案内された。

日本音楽情報センター孔章源さんそこには、「日本音楽情報センター」と書かれた看板があった。昨年の5月10日にオープンしたばかりの、J−POPを紹介することで韓国との音楽交流を図るのが開館目的であると言う説明を受けた。モニターには日本の若い女の子が歌い踊るライヴビデオが流れていた。李さんが「これ、誰だかわかります?」と質問してきた。最近のJ−POPの情報蒐集が終わっていなかった私は、「誰でしたっけね?」と答えるのが精一杯。「aikoですよ」と李さん。あぁ、紅白歌合戦で見たっけなぁ…と思うが、韓国の方に日本のアーティストの説明を受けることになろうとは、まったく思いも寄らなかった。これもまた、面白いことである。孔さんも李さんも、日本語堪能である。それもそのはず、日本留学の経験がおありだそうだ。

孔さんと李さんからは、J−POPを韓国語に直してコピーしたアーティストの情報や、韓国におけるJ−POP開放と歴史教科書問題の関連、日本映画の人気度などを語っていただいた。ちなみに、「GLAYが、ソ・テジ(韓国のスーパーアイドル)と一緒に韓国と日本でジョイントコンサートをするというウワサが、スポーツ新聞で(今年1月に)流れた」などという情報を聞かせて頂いた時、失礼とは思いながら爆笑してしまった!?

傍目にはミーハーな会話のような感もあったが、これが立派な学術研究であるし、私は日本音楽情報センターに立ち入った初の日本人学者となったのが嬉しかった。

その後、ホテルに直帰するのも…と思い、鐘閣(チョンガク)にある、行きつけ(?)の教保ブックセンター(韓国では最大規模の書店)に寄り、日本大衆文化に関する文献を3冊と、POSITIONというアーティストが(収録曲のほとんどをJ−POPのカバーをして話題となった)「I Love You」というアルバムと、韓国内だけで500万枚のセールスを記録している「戀歌」(ヨンガと読む。4枚組CD)を購入して、明洞の忠武(チュンム)キムパプ(キムパプとは、海苔巻のこと)で夕食をとり、PC房(バン=部屋)でインターネットにアクセスして、メールチェックとBeWithサイトのチェックをした。

ホテルに戻ってエレベータに乗り込んだら、米国人女性2名に「2階、お願い!」と英語で話しかけられ、「このエレベータは2階は止まらないので、となりのエレベータにどうぞ」と英語で返す。このホテルでは3ヶ国語を使わなければならないのか?!