突然の(?)冬将軍!油断大敵、耳ジンジン!



今日で本格的な活動は最終日を迎えた。よって、今日は何としても(体調が少しくらい悪かろうが)動かなくてはならないし、同行者にも動いてもらわなくてはならなかった。9時過ぎ、心を鬼にして(?)、同行者に目を覚ますように言い渡す。しかし、私自身もちょっと眠かったので、10時までフトンにいることを許してしまった。その後、「やはり、これではマズイ!」ということに気づき、フトンから這い出て、急いで身仕度を取ることに…。結局、ホテルを出たのが11時…。予定では10時過ぎにホテルを出るはずだったのだが、進んでしまった時間を戻すのは不可能。とにかく歩行ピッチを早めることにした。

最初に向かったのは、景福宮(キョンボックン)。私は毎年1月1日に訪れているのだが、同行者は初めての訪問で、さらに今年は私もまだ行っていないため、とりあえず仕事前に訪ねることにした。景福宮の入口である光化門(クンファムン)と勤政門(クジョンムン)の間には、かつて朝鮮総督府が置かれていた。その歴史の重みも理解しつつ、日韓の国民の温度差も感じつつ…という目的もあった。そのため、わざわざ「景福宮」という地下鉄駅があるのにもかかわらず、光化門を正面から眺めるために「光化門」駅で下車し、世宗路(セジョンノ)を歩いて景福宮を目指した。

このルートを選んだ理由には、もう1つ重要な意味がある。この世宗路のアメリカ大使館横には、文化観光部が立っている。この文化観光部こそ、大衆文化などの規制の中枢であり、日本大衆文化開放を推進・中断した機関である。私の研究内容上、この文化観光部の前を通らないワケにはいかないのである! が、この辺りにさしかかった時、急に風が冷たくなり、手袋ナシではとても歩けないような状態となった。さらに、寒さのために私の耳はジンジンし始め、同行者からは「見るのも痛々しいほど耳が真っ赤!」と言われてしまった。そのくらい、急に気温が低下してしまったのである!

光化門に近づいた時、何やら門前に人だかりが…。急いで門に向かうと、そこには守門将の姿が!? 何度も景福宮を訪ねているが、守門将の姿を見るのは初めてのことだった。ちょっと感激する。そして、観光ガイドのように景福宮を同行者に案内しようとするが、寒さがかなり厳しくなり、とてもゆっくりガイドできる状態ではなくなったため、主な殿だけを案内し、急いで地下鉄に戻ろう戻ろうと、そんなことばかり考えた。どれだけ寒かったか、写真(右下)を見てもらえればわかると思われる。

世宗路にて(光化門をのぞむ)文化観光部前にて光化門前の守門将

勤政門前にて慶成殿前にて池も凍ってしまったほどの寒さ!

その後、やっとの思いで地下鉄に乗り込み、安国(アングへ。そこから少し歩いて仁寺洞(インサドン)へ出た。仁寺洞といえば、骨董品商店が多く並んでいることで知られているが、お土産物になる伝統工芸品が手に入りやすいので、日本人客で賑わっている。我々もお土産探しに仁寺洞まで来たのだが、まずは腹ごなし…ということで、以前立ち寄って気に入ったサムジーギルの1階にあるトゥブマウル(直訳すれば、豆腐村)で昼食をとる。が、思いのほか時間がかかってしまい、急いで在韓国日本大使館公報文化院(日本文化院)へ向かう。しかし、あまりの寒さに体が硬直し、早足が出来ない状態の我々…。約束の14時を5分ほど過ぎて、やっと日本文化院へ到着した。

2階に上がり、守衛さんに「孔章源(コン・ヂャンウォン)さんと約束があります」とつたえると、ドアのロックが外された。2枚のドアを開けると、そこには1年ぶりにお会いする孔さんの姿があった。孔さんから日韓友情年関係の交流行事の概要と大衆文化交流の現状を教えていただいたが、どうも思うに任せぬ状態が続いているような感じがした。やはり「温度差」というものが存在するようで、日本でヒットしたから韓国でも…という考えは通用せず、また逆に、韓国では「時代遅れ」と思われたようなものが日本で流行る…という構造が作り上げられたような感じもした。日本文化院内にある日本音楽情報センターも久々に見学させて頂き、かなり重要なデータを得ることが出来た。

花文字1時間ちょっと日本文化院でお話を伺った後、再び仁寺洞へ。そこで数時間、お土産探しにアチコチ動き回っていたが、日本を出る前から気になっていたことがあって…。「花文字職人がいるらしいから、会えたらいいなぁ」と我々は言っていたのだが、偶然にもその職人が出店を出していたため、迷わず「お願いします!」と職人に声をかけた。ちなみに、完成品が右の写真である! なかなか素晴らしいできばえだと思う。ヘラのようなものを数種類と、細い筆を巧みに使って、このような文字を書き上げるのであるが、目の前でヘラがちょっと動いたかと思ったら、そこには生きているような蝶の姿が…とか、小刻みにヘラを動かした後に竹が描かれていたり…と、目の前で繰り広げられていた芸術的な作業に、歓声を上げていた我々であった。何をしにソウルに来たのか、この時点で本来の目的をかなり逸脱していることを思い知る。でもまぁ、これもまた渡航マジックである!

そして、仁寺洞から歩いて鐘閣(チョンガク)に出て、例の永豊文庫(ヨンプンムンゴ)で「ドラゴンボール」「まほろまてぃっく」「遊幽白書」「金田一少年の事件簿」のコミックを購入した。これも、研究目的であるのと同時に、私的関心を充実させるための手段である。ちょっと荷物が重くなったところで、最後の力(?)をふりしぼり、ロッテ百貨店内のロッテ免税店へ行った。私がこの免税店を訪ねたのは数知れず。しかし。こんなに日本人が少ない状況を見たのは初めてのことであった。ここで追加のお土産やら “研究資料” を調達し、急ぎ(今回は、この表現が多いような…)ホテルに戻る。

新宿さぼてんにて新宿さぼてんにてホテルに荷物を置いてすぐ、明洞の街へ再び飛び込んだ我々…。行き着いた先は “新宿さぼてんソウル店” であった。最後の夕食を取るのはこの店…と決めていたのである! この店は、黒白のゴマが用意されていて、それを擂ってソースと合わせるのは日本と同じだが、自分でやるのではなく店員さんがやってくれる上、勝手にキャベツにドレッシングをかけられてしまう…という点では日本と違いがある。さらに、以前はトンカツが韓国風に揚げられていたのだが…。果たして、今回もゴマは店員さんに擂られてしまい、さらに勝手にドレッシングもかけられてしまったのだが、トンカツの揚げ方だけは日本風になっていた。ある意味、ガッカリである。旅も大きな事故もなく過ごせたことに安堵感が込み上げ、思わずビールを注文した。同行者が「家族から、知人へのお土産にキムチを買ってきてくれと言ってきた」というので、食後急いで南大門市場(ナデムンシジャン)へ向かった。が、しかし、寒さはさらに強まっている…。「出来るだけ、明洞に帰りやすい場所でキムチを買おう!」を合い言葉に、市場へ向かった。

南大門市場へ向かう地下街を出たところで、幸いにしてキムチを扱う店を見つけた。店員のお兄さんの気迫にも負けて、その店で購入することにした。そこへ、日本人のオバサン2人組が現れ、「値引け! 値引け!」としつこく店員さんに食い下がっていた。「これ以上値引けないです!」と店員さんが言うと、「だったら、何か付けて!」と図々しい。まぁ、これくらい図々しくなければ家庭を守ることはできないのだろうが、それにしても見苦しい光景であった。さらに、私の荷物が増えてしまったので、カバン屋でカートを買うことにした。1軒目には手頃な大きさのものがなかったのだが、2軒目にはちょうど良いものがあった。3万5千ウォンだと言われ、ちょっとまけてもらおうと思ったが、さっきのオバサンたちの見苦しい姿が脳裏を過ぎり、値切る気力が失せてしまった。

ホテルに戻り、明日の帰国のためのパッキングをしている最中、「そうだ! 今回は忠武(チュンム)キムパプにまだ行ってなかった!」ということを思い出した。それで、23時半過ぎに部屋を出て、テイクアウトで1人分購入してきた。そこまでして、そのキムパプが食べたいかね?…という声が聞こえてきそうだが、ソウル入りした日の昼食か夕食は忠武キムパプで…というのが私のこだわりだっただけに、何としても食して帰国したいという思いが強くなったのである。

こうして、最後の最後まで、慌ただしく珍道中が進行してしまった次第である。さて、明日は無事に帰国できるのだろうか?