ようやく、本来の目的開始!



今日で、韓国に来て5日目…。気温も0度を上回るようになり(これからまた、寒くなるのかも知れないが…)、ようやく本来の目的である研究協力機関(こうやって書くとカッコイイが、「単に私の都合で協力要請をかけた方々」と書くのが正確かも知れない)訪問が始まった。とはいえ、滞在が5日(水)までなので、今日と明日の2日間で訪問を完了しなくてはならない。そのため、昨日までの時間の余裕がある間に、大量のCDだのDVDだのマンガ本だのを買い込んでおいた次第である。

しかし、そんな出端をくじくような雨…。ザーザー降りではないが、空の色を見ていると悲しくなりそうな、そんな天気であった。傘はなくても歩けそうだと思い、折りたたみ傘をバッグに入れて、10時半過ぎにホテルを出たのだが、ただでさえ気温が低いので、雨が顔に当たると “針があたったような” 感じになる。そこで、傘をバッグから取り出し、忠武路(チュンムロ)駅へ向かって歩き出す。いつもとは、歩く方向が逆なので、新鮮な感じがする。が、よく考えたら、サボイホテルのある場所は明洞とはいえ、住所は忠武路で、目の前の道路も忠武路というのである。

忠武路駅へ向かった理由は、まずソウル中央郵便局でエアメールを数通送るためである。そして、今日訪問する韓国芸術総合学校へは、忠武路からだと乗り換え無しで行けるからである。郵便局へ行く途中、今までに入ったことのない食堂へ入って朝食をとる。初めての店なので、どんなメニューがあるのか確認していると、若いお姉さんが「アナタハ、ニホンノカタデスカ?」と日本語で聞いていた。「そうですよ」と答えると、日本語で書かれたメニューを持ってきた。しかし、そこに書かれているメニューの少ないこと…。おそらく、「日本人が日本で食さないようなもの」と「翻訳可能な料理名」という選択基準でB5版程度のメニューを作ったのだろう。その努力に報いてあげるため、そこに書かれているものから注文をするが、「アガッシ! チャチキ チュセヨ!」(お姉さん、まぐろの海苔巻きをください!)と韓国語で注文する。韓国では、「お姉さん!」とか「オジサン!」「オジサン!」などと店員を呼ぶのである。別に、ナンパしようというのではない。韓国語で注文したのは、「私は韓国語ができますよ!」というメッセージを含んだものではなく、「チャチキ」とハングルで書かれたところには「まぐろ」とだけひらがなで打ち出されていたからである。「まぐろ、ください!」と頼むのは、日本人として恥ずかしいのである。隣のテーブルの3人組が、「何だ、日本語のメニューもあるんじゃん!?」とつぶやいた。あぁ。この人たちも日本人だったのね…。先ほどのお姉さん、面倒くさそうに、私が手渡したメニューを3人組に渡していた。で、その3人組が一言…「今さら、遅いよ…」。当然である。料理が運ばれてくるまで、メニューをずっと眺めていた。カレーライスやオムライスなども書かれている。多分、この3人組は、何が何やらわからずじまいで、それで店先にあった饅頭(日本でいう餃子)を指さして注文でもしたのだろう。果たして、私のもとに運ばれてきた「まぐろの海苔巻き」は、いわゆる「ツナ入り」という感じであった。

食後、雨のそぼ降る中を歩き、ソウル中央郵便局へ。そこでエアメールを送る手続きをする。最近、韓国の郵便局で切手を売ってもらったためしがない。日本でもよく見かけるが、切手の代わりとなる料金の書かれたシールを貼るだけの、何とも味気ない扱いをされるのである。まぁ、郵便の第一義目的は「目的地へキチンと送ること」なのだから、切手がどうこうと言う必要はないのであるが、その国ならではの切手を貼る喜び、受け取った人へのビジュアリスティックなインパクトも、これでは半減してしまう。

どうみても、逆さまなんですが…再び雨の中を歩き、忠武路駅に到着する。そこから地下鉄3号線に乗って、南部ターミナル駅へ。そこから韓国芸術総合学校へはバスで5分ほどのところにある。ところが、南部ターミナル駅に到着したのが12時ちょっと過ぎ…。韓国芸術総合学校で閔庚燦(ミン・キョンチャン)先生とお会いする約束が13時…。これでは早すぎるので、どこかで時間を潰すことにした。駅の改札から雨に濡れずに移動できるところを探していたら、いつも気になっていたビルの入口がきれいになっているのを見つけた。一度入ってみようと思っていたので、好都合である。その入口に近づくと、そこにはハングルで「国際電子センター」と書かれていた。地下から最上階まで、すべて商業スペースらしいのだが、その殆どが電化製品やパソコン、オーディオ製品、カメラ、時計などなどを扱う店ばかりで、秋葉原をビルにまとめたような、そんな趣のあるところであった。食堂もあったが、そこから放たれる強烈な臭いがフロアに充満していて、それはそれですごかった。扱われているデジカメは、その殆どが日本製であった。ついでに言えば、デジカメ用のメディアも、90%以上が日本製であった。ここでデジカメを購入すれば、日本よりもちょっと安くなったのかも知れないが、使用中のカメラがまだ使えるし、それにどの店にも値札がないので、いくらになるのか見当がつかない状態だったので、ウィンドーショッピングだけでやめた。「国際電子センター」の名にふさわしいビルではあったが、1階にクリスマスツリーが(イルミネーション付きで)飾られ続けていたのと、その隣でサンタの人形が音楽に合わせて踊っているのを見ると、「人間はアナログだな…」と思わずにはいられなかった。それに、明らかに表と裏が逆のままになった看板…。

国楽院12:45になったので、ビルの外に出て、地下鉄駅すぐそばのバス停に行った。毎度毎度利用するバスなので間違えることはないのだが、昨年からバスのシステムがちょっと変わったらしいので(詳しいことは後日、「最新情報」にて述べる予定)、とりあえず行き先などをじっくり確認し、さらに運転手さんに「国楽院(クガゴン)、行きます?」と聞いてみた。そしてバスに乗り込む。動き出したバスの乗客は、私を除いて全員が国楽院の1つ手前の「芸術の殿堂」(イェスレチョンダン)で降りてしまった。乗客は、私一人になってしまった。「次は、国楽院…」という案内放送と共に、降車ボタンを押した私に運転手さんが、「国楽院は(道路を挟んで)向こう側だから、国楽院の前まで行ってあげるよ!」と…。最初、私はその言葉の意味が良くわからなかったのだが、バスは停車すべきバス停を通り過ぎ、Uターンし、本当に道路の向こう側にある国楽院の前で停車してしまったのだ! いくら客が私だけだからといって、路線バスでこんなことがあっても良いのだろうか? しかし、感激である。運転手さんに何度もお礼を言い、バスを降りた後も運転手さんに何度も手を振った。運転手さんも、手を振り返してくれた。韓国人の人情を垣間見た。

韓国芸術総合学校13時ちょっと前、閔庚燦先生の研究室に到着した。ドアには「外出中」とあるのだが、中からは人の声が聞こえてくる。そこでドアをノックすると、中から閔先生が現れた。どうやら、他の教員と談話してる最中だったらしい。インタビューの最中も、内線電話が何度もかかってきたり、教員たちが入れ替わり立ち替わり研究室を訪ねてきて、閔先生のご多忙ぶりが良くわかった。私は今回、閔先生が2002年にプロデュースした日韓童謡CDのその後についてお聞きしたかったので、その話がだいたい聞けたところで研究室をあとにすることに決めていたのだが、いろいろな情報をご提供いただき、結局は1時間以上も研究室にお邪魔してしまった。有益な情報と考え方をお教えいただき、韓国へ来た価値があったことを再確認することとなった。

本来なら、ここから南部ターミナル駅まで戻って、次の移動場所を考えることにするのだが、今日は時間に余裕があるので、路線バスに乗ることにした。どうやら、国楽院まえからソウル駅へ行くバスがあるらしい。それに乗ることにした。バスに乗ると、ガイドブックには載っていないソウルの風景を眺めることができる上、車内でのソウルっ子たちの様子も伺えて、良いフィールドワークになる。結果から述べると。この路線バスに乗ったことは正解であった。バスはソウル駅に向かう前に、工事中のソウル中央郵便局前を通ることがわかったのである! これだと、ホテルまで乗り換え無しで帰れることになる。忠武路駅からホテルまで歩くより、10分以上も短縮される。喜びに充ち満ちた私は、ソウル中央郵便局前というバス停で下車した。そして、「このままホテルに戻るのも…」と思い出し、とりあえずロッテ百貨店前の明洞地下街で買い物をして帰ることにした。そして…、さっきまで乗っていたバスが、ロッテ百貨店経由であることを知ったのである。あぁ、降りなければ良かった…。しかし、あんな便利な系統があったなんて…と、得した気分になった。20分程度乗って、料金が800ウォン(80円程度)というのも嬉しい。

明洞地下街には、例のハーバードメガネもある。今日は別の買い物である。CDだのDVDだのマンガ本だのを調子に乗って買いすぎたのだが、まだ買い足りないCDがあったので、それをアバター地下のシンナラレコードで購入することと、買い物のし過ぎで重くなった荷物の運搬用に携帯用カートを買いに来たのである。ソウルの地下街や商店街には、なぜかカバン屋さんが多い。そこで、人の良さそうなオバサンのお店に行き、携帯用カートを指さし、「これ、使い方を教えてください」と聞いてみた。すると、日本語を交えながら丁寧に教えてくれた。が、こちらは韓国語の勉強も兼ねているので、オール韓国語で切り抜けてみた。すると、「韓国語、上手いですね!」と言われてしまった。要するに、韓国人ではない者が韓国語を話していると言うことがバレバレなのである。25000ウォン(2500円程度)を支払い、ホテルへ戻る途中、これまた今まで入ったことのない店を探して、昼食をとることにした。初めてなので、やはりメニューを全部見てから決めないと…と店中を見渡していると、日本語で書かれたメニューらしきものを店のオバサンが持ってこようとした。が、「ティギムドン チュセヨ!」(天ぷらうどん、ください!)と間一髪、韓国語でのオーダーが間に合った。韓国では、いわゆる関東人が言う「天ぷら」は「ティギ」という。最後の “m” がうどんの “u” とリエゾンして、「ティギムドン」となる。韓国人が「テンプラ」と言う時、それは往々にして「さつまあげ」の類のものである。さて、韓国の天ぷらうどんがどんなものなのか、期待しないで待っていたら、オバサン、よせばいいのに七味唐辛子を何度もかけてから私に給仕してきた。私は、うどんやソバに七味をかけない主義である。ついでに言えば、ラーメンにコショウも入れない。私がこれらのものをかけ入れたら、そのままではとても食べられない代物が出てきたと思っていただければ結構である。さあ、食してみよう。韓国で食べるうどんの多くは腰がなく(のびている?)、韓国うどんであるカスと同じように作っているのではないかと思える代物なのだが、今日食したうどんにはある程度の腰は残っていた。汁もなかなか…。だが、天ぷらの衣がはがれやすくなっていた。サツマイモの天ぷらは、イモの甘みが残っていて、中身は美味。海老の天ぷらは、海老が殻ごとだったので、ちょっとビックリ! 海苔の天ぷらは、ノーコメント。そして、トックと呼ばれる韓国餅の天ぷらは、絶品だった! これだけでも、この天ぷらうどんを注文した甲斐はあった。

夕方になり、ホテルに戻ってテレビを見ながらメールチェックをしていたら、ホテルの電話が鳴った。趙一雨(チョー・イル)くんからだった。韓国到着の日、電話で連絡を取り、今日会う約束になっていたので、その確認の電話だったのだ。それで、今日の20時に趙くんがホテルまで出向いてくれるということで話はまとまった。

20時ちょっと前、フロントに来て、日本の新聞に目を通した。インターネットで日本のニュースは毎日チェックしていたので、目新しい情報は内のだが、スポーツ新聞で箱根駅伝の結果を見ると、日本大学国際関係学部のディラング・サイモンくんの快挙が紹介されていて、嬉しくなる。彼は、日本に来て走る駅伝の全てで、区間賞を獲得している。走れば区間賞…すごいことだ! 彼の活躍で(彼だけが活躍したのではないが)日大は総合3位に入り、来年のシード権を獲得した。

20:05、見覚えのある長身の男性が…、そう、趙くんである。何度も握手を交わし、ここから韓国語だけの2時間が始まった。最初、「食事は?」と聞かれたので、「まだだよ」と答えると、ホテル横にある參鶏湯の店に入ることになった。食事をしながらの会話である。私は前回の渡韓以降、ずっと韓国語の勉強をサボっていたので、すごく簡単な単語でさえ忘れてしまっていた。ハングルでは思い浮かぶのだが、それがどういう意味なのかを思い出すのに時間がかかるのだ。しかし、話が進むにつれ、ちょっとだけスムーズさを取り戻していった。会話の内容は、日韓の流行であるが、趙くんがまず「日本では “ヨン様” ブームらしいけれど、本当?」と聞いてきた。それで日本の話をする。「冬のソナタ」が大ヒットし、その影響で韓国ドラマラッシュが続いていること。「美しき日々」「ホテリア」「天国の階段」などが好評を博したことなどなど。趙くんの説明によると、「韓国では、全く考えられない!」現象だという。そして「日本ではなぜ、あんなにもペ・ヨンジュン(裴勇俊)が人気なのか?」と不思議がっていた。日本で話題の韓国映画・ドラマ・俳優・歌手の話と、韓国で話題の日本映画・ドラマ・俳優・歌手の話などで盛り上がる。彼は「冷静と情熱のあいだ」を見て大泣きしたという。また、「世界の中心で愛をさけぶ」でも大泣きしたらしい。私よりもJ−POPに詳しいところもあり、私が昨年あげるつもりで買っていたTAK MATSUMOTOのCDの説明をしていたら、「あぁ、この歌手はよく知っている」と何度も言われた。彼は日本びいきのところがあるので、私よりも情報を集めているのだろう。

食後、「參鶏湯は高級料理かい?」と聞いてみた。すると、「高級料理ではないよ」との答えが…。「日本では、5000円するよ。だから、日本では高級料理!」と私が教えると、「5000円? 50000ウォンじゃないか? 高すぎる!」と驚いていた。

ドトールコーヒーに場所を移し、そこで話の続きをする。店のBGMで流れている曲を口ずさむ趙くん…。「これ、誰が歌っているの?」と私が聞くと、キム・ボムス(金範洙)だよ! “天国の階段” の中の曲!」と教えてくれた。どうりで、どこかで聴いたことがあると思った。

22時前になり、ドトールの店員が「そろそろ閉店時間です」と呼びに来た。あっという間の2時間であった。ホテル前で最後の挨拶をしたが、「明日の夜、ホテルに電話するよ。ちゃんと日本に帰れるように…」と趙くん。異国の、それも言葉の下手っぴーな友人のために、ここまでしてくれるとは…。

本当に今日一日、韓国人の人情に触れ続けることができた。

今日はたいした写真も撮れなかったので、オマケとして、私のパソコンのデスクトップ(韓国滞在中バージョン)をご覧ください。デスクトップ(韓国滞在中バージョン)